メーテル
松本零士さんの漫画
『銀河鉄道999』のクライマックスを
観るたびに身につまされる
というか現代社会に対する皮肉に見える。
艱難辛苦あっても
べっぴんのメーテルと共に旅ができて
鉄郎は幸せ者だなと羨んだが
アンドロメダ星雲の中心にたどりついて
さあ機械の体にしてもらおうかという展開で
鉄郎は逃げ出す。ずらかる。
世界を動かす巨大な機械のネジのひとつになんか
なりたくないと騒いで駄々をこねる。
この逃げ出したくなる衝動的な気持ちは
ん~わかる。でも人は誰しも
自分がネジのひとつにすぎないとは
考えたくないよね。自分が常に主人公で
ありたいよね。ん~わかるよ。
松本零士は壮大な皮肉屋かもしれない。
通過儀礼の話だねー。それもメーテルは鉄郎の実母そっくりに作られているという…。
ぼくなんか、いまだに駄々こね続けて逃げ続け、メーテルではなく母の乗ってる汽車を降りたり乗ったり繰り返し。
投稿: taotao | 2013年11月 4日 (月) 08時58分