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2015年10月

2015年10月31日 (土)

見えない

うちの山ではとくに鶏舎の回りでは

いたるところかぼちゃが自生する。

鶏の餌にしたかぼちゃの種がこぼれ芽を吹く。

じゃあわざわざ畑で作んなくてもいいね

とはならない。

たいていの場合かぼちゃの本葉を見つけても

うっかり草刈機ではねてしまう。

運良く生き残った蔓は四方八方に広がり

人の歩く道をふさいでわりとじゃまな存在である。

それでもなお生き残って実を結んだ。

にもかかわらず実が草にうもれて見えない。

草刈機で傷つけてしまう。もうしわけない。

Dsc01953 味噌汁に入れてありがたく頂きます。

2015年10月30日 (金)

マイナンバー

あたかも国民皆が自分の番号を欲したかのような

マイナンバー制度。

そもそもこのカタカナ語が怪しい。

国から番号を与えられることによって

オレ自身なにか得するのかな。

今までだって

番号なんかもらわなくても生活上なんら支障なかった。

国民全員に番号振ることによって

行政手続き簡略化と

公務員が個人情報を調べやすくはなるだろう。

ようするに

国が人を管理するための便宜的な手段で

もっといえば国政を牛耳る権力者にとって

都合がいいように

個々の番号にブラックリストの付箋まで

ひっつけられそうな予感もする。とくに現政権下では。

自分に番号なんて要らない。

Dsc01181 こういうものとも連動させられそう。

2015年10月28日 (水)

サラダ

最近よくルッコラを間引きながらサラダにする。

ルッコラは根元が固いので

その部分はちぎって

粒マスタード酢はちみつオリーブオイルで炒めておく。

葉っぱを盛り付け

油で炒めた茎を上からかけてドレッシングとする。

いたってシンプルなサラダ。

葉っぱを噛むと

胡麻に似た風味がのどの奥へ抜ける。

爽やかな野菜である。

ミニトマトをのっけて彩りをうかがう。

Dsc01947 好天が続くせいでミニトマトもよく実をつける。

2015年10月26日 (月)

きゅっぱ

韓国料理の汁かけご飯クッパではない。

キュッパという商品名の超音波ホッチキス。

世の中にはあまた便利な物があふれている。

道の駅など店舗で鶏卵を販売する際に

透明プラスチック容器に卵を入れて

売り場に並べるのだが

以前はアルミ針のホッチキスを使っていた。

でもそれだと消費者保護の観点から

(子供が誤って口に入れる可能性があるとか)

望ましくないと指摘されていながらも使い続けていた。

このたび超音波接着器購入した。

卵のプラ容器自体使いたくないけど

紙パックだと中身が見えにくいので店頭では敬遠される。

プラスチックは便利だが反自然的ゴミ。

あたりまえのように使いながらもふと気になる。

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2015年10月25日 (日)

好天

今年のはぜ掛けは

好天に恵まれ稲の乾きがかなり早い。

例年ならば早くて2週間

遅くて1か月くらい干してようやく

水分含有量が12~13%くらいになるのに

今年はたった1週間で乾燥し終えた。

ベテランの稲作農家の方がいうには

はぜ掛けは風情あり米がおいしくなりそうだが

稲が雨に濡れたり乾いたり乾湿を何度も繰り返すと

胴割れも多くなり乾燥機にかけたほうが

よっぽど仕上がりがいいらしい。それと

15%くらいの均一な水分含有で調整するほうが

炊きあがりがきれいという方もおられる。

手間と機械のはざまで葛藤は続く。

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2015年10月24日 (土)

のどもと過ぎれば

2011年3月に

福島の原発が爆発して直後は

日本の原発全てやめようという

熱い空気が流れていたような気がするが

あれからたった4年であの頃の熱気が

吹っ飛んでしまったようだ。というか

上手く丸めこまれやすい国民なのだろう。

周防大島から50kmのところにある伊方原発。

伊方町長が「苦渋の決断で」再稼働したいと表明。

一体何を苦渋したのだろう。

いったん大事故が起これば

伊方町のみならず住めなくなるというのに。

住めなくなる危機よりも

原発の存続を願うという。

これってわかりやすく言えば

人の命よりも原発を優先するっていう表明なんだろうな。

まったく寝ぼけた輩である。

Dsc01883 今現在ほとんどの原発稼働してないけど

電気が足りないっていう話はどこにもないよね。

2015年10月23日 (金)

係留

うちの母豚をと畜場に連れて行った。

友人たちに手伝ってもらいながら

軽トラの荷台に載せるだけでもひと騒動。

体重およそ200kg以上あるかな。

山口県内で豚をと畜してくれるところはない。

なので広島草津の

中央卸売市場へ運ばなければならない。

母豚はなかなか檻に入ってくれなくて手こずったが

市場の中にある係留所の檻に歩いていく姿は

うなだれて悲しそうだった。

うちの狭い放牧地でのんびり暮らしてたら

いきなり人間からもう今日でお別れだと告げられる。

後姿が不憫でならなかった。

Dsc00918ぱっくり口を開けた巨大なゲートの奥に

家畜が集められている。大動物けい留所。

お肉になって戻ってきたら豚大鍋宴会を催したい。

2015年10月22日 (木)

『みんなの学校』

しばらくまえに横シネで観た。

日本国憲法第二十六条

 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

この映画に登場する公立学校は

憲法に謳われる条文を

素直に実践している。

とくに

「その能力に応じて」という言葉の持つ意味は大きい。

こんど大空小学校の元校長であった

木村泰子さんが山口県に来られて

この映画上映とともに講演される。

いまの日本にとぼしいのは

熱い信念とそれにもとづく実践である。

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2015年10月21日 (水)

稲作

うちで田んぼを育てはじめたきっかけは

鶏の餌だった。

就農して採卵養鶏を始めるのとほぼ同時に

近所の方に田んぼをお借りした。

かねがね鶏の餌に

外国産トウモロコシを使いたくなくて

代わりに小米いわゆるくず米主体の

自家配合にしたかった。といっても当時

自分は米に関して無知に等しかった。

そんな者が農家に小米を頼むというのが臆した。

だったらまず自分で米を育ててみよう

とそんな単純な理由で現在に至る。

でも田んぼにはたくさん教えられる。

Dsc01825 昔の人々の勤勉さを見習いたいが足元にも及ばない。

2015年10月20日 (火)

化身

たびたびイノシシの話題で申しわけない。

べつに自己満悦なわけじゃない。

ただ野生の獣を狩るという行為が

いったいどういうことか

自分自身整理つかないので

文章を紡いでどこかで折り合いたいのである。

自分が殺したイノシシを弔いたい

と言い換えてもいい。

仕留める刹那の興奮もはずかしい。

イノシシは元々この周防大島に存在しなかった動物

とはいえ現在はこの島の山で生き成長する。

既にここで世代をつなぎおよそ10年。

悠然とこの島の地を歩く。ある種の神。

オレは神の化身を殺しているのとおなじ。

オマエにこの偉大な神の化身を殺すに足る資格があるか。

そう問われているような気がする。

今の自分には応える術がない。畏れ敬いながら狩る。

今のところそう謙虚に構えるしか能がない。

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