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第1と第3土曜日恒例のマルシェ。久賀の生涯学習のむら。
自分なりの言葉にかんして基本的考え。
カタカナ語をなるべく排すると決めている。
なのでマルシェとかファーマーズマーケットとか
そういう横文字呼び方に対して
微妙に距離感がある。ほんとは農家土曜市とかお百姓市場とか
そんな日本語でいいと感じる。ただまぁマルシェという仏語は
短くて呼び易くお洒落っぽい名前ではある。
それと似たようなこだわりかもしれないが
うちで育てた野菜などを
オーガニックとか有機野菜とか無農薬とか
ことさら強調するのもダサい気がする。
そもそもこれからの時代
できるかぎり農薬や化学肥料に頼らない農を営みたい
人々が主流になっていくのは間違いない。断定。
それがあたりまえなんだから
わざわざあたりまえなことを主張する必要もない。
お客さんに尋ねられたら
野菜を無農薬で育てるなんてそんな難しいことじゃない
といばって言いたい。
かぐや姫に登場する竹取の翁は
取った竹をよろずのことに使うという。
おそらく翁は竹細工職人だったのではないか。
そんな高尚な目的で竹を取ってみたいが
今回は稲のはぜ掛けのため。
淡竹がちょうどいい。
山はどこも竹ばかりなので入手するのは困らない。
でもコンバインで刈れば竹なんぞ取る必要もないわけで
余計な労力にちがいない。
じゃあなんでわざわざはぜ掛けしたいのか。
理由はあれこれおもいつくがつまるところ
遊びなのだ。お百姓仕事はなべて遊びの延長。
遊びといっても趣味という意味ではなく
時間をもてあましているわけでもない。
アソビとは精神的な余裕のこと。たとえば
車のアクセルについて教習所で習う。
アクセル踏むときアソビのない車は危ないですよと。
はぜ掛けするため山で竹を刈るのは
労働の踊り場。
人間の言葉は他の動物には通じない。
当然ネコにも通じない。おまえの生前
オレはおまえが道路を大胆に渡ろうとするたびに
ひっつかまえて額を合わせて
車は危険というメッセージを送り続けた。
車に轢かれたらこんな死に方をするんだよ
と脳内で作った映像をおまえの感情に届けていたつもりだった。
でも効果なかった。案の定車にはねられた。
亡骸を抱えたとき涙があふれて
「あんなになんどもなんども伝えたのに
なんでわかってくれなかった」そう怒鳴った。
朝もやがまだ残っていた。
おまえがはねられて横たわっていた道路の下には海岸が広がり
砂浜にはさっきまで小鳥を追いかけていたらしいおまえの足跡が
てんてんとついていた。いいかげん遊びつかれて
さておうちに帰ろーと道路に飛び出したんだなと想像した。
おまえと心は通じ合っていたのに
伝えきれなかった。また帰ってきてほしいな。