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2015年10月

2015年10月19日 (月)

はしり椎茸

ここ何日か

秋のシイタケが大発生する。

シイタケって

発生から生育段階でそれぞれ名前がある。

蕾から傘がまだほとんど開いてないものはドンコ。

開き始めたけどまだ頭が丸み帯びてるのはコウコ。

しっかり傘のえらが張って内襞が白く立っているのはコウシン。

傘が破れかけ頭が反るところまでいくとバレ。

などと呼ぶらしい。

ちなみに私個人的には

コウシンあたりが好み。肉の厚みと

歯ごたえとシイタケ特有の香りが鼻腔を刺激し

食指をそそられる。

オーブンでほんのり汁けが出る程度焼いて

酢橘を搾りかけて頂く。

Dsc01944 自然の恵みに感謝。

2015年10月18日 (日)

昼寝

ここんとこ快晴がつづく。

稲刈りして干すにはちょうどいい天気。

一息ついて

土のうえに仰向けになり

雲ひとつない

吸いこまれそうな青い空をみる。

この空から見れば

人間の活動なんてちっぽけ極まりない。

人はときどき青い空を見て

意識の外に出ていく。

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2015年10月17日 (土)

マルシェ

第1と第3土曜日恒例のマルシェ。久賀の生涯学習のむら。

自分なりの言葉にかんして基本的考え。

カタカナ語をなるべく排すると決めている。

なのでマルシェとかファーマーズマーケットとか

そういう横文字呼び方に対して

微妙に距離感がある。ほんとは農家土曜市とかお百姓市場とか

そんな日本語でいいと感じる。ただまぁマルシェという仏語は

短くて呼び易くお洒落っぽい名前ではある。

それと似たようなこだわりかもしれないが

うちで育てた野菜などを

オーガニックとか有機野菜とか無農薬とか

ことさら強調するのもダサい気がする。

そもそもこれからの時代

できるかぎり農薬や化学肥料に頼らない農を営みたい

人々が主流になっていくのは間違いない。断定。

それがあたりまえなんだから

わざわざあたりまえなことを主張する必要もない。

お客さんに尋ねられたら

野菜を無農薬で育てるなんてそんな難しいことじゃない

といばって言いたい。

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2015年10月16日 (金)

カラス

ハシボソカラスというのだろう。

時期によってしばらく大群で居つく。

先日稲を干したばかりの田んぼやその回りの電線に

彼らが群れておった。

干してあるはぜに防鳥ネットを張ろうと思いつつ

他の田んぼの稲刈りに追われてできない。

彼らの真下には

うちの稲とちらほら熟れてきたみかんの木があり

それらを食い散らかすというか

めぼしい物への好奇心なのか

せっかく丁寧に干した稲も

はげしい勢いで引っこ抜かれ突きまくられている。

これだから天日干しも・・・。

Dsc00902 なぜか田んぼにイモリ。

2015年10月15日 (木)

三昧境

ざんまいとは仏教用語で

一心不乱にその事をすること。

ここ何日かまさに稲刈り三昧。

うちで育てている田んぼの多くが

山のほうにある小さなマチなため

一条刈りバインダーでせっせこ稲刈り。

ぶっ続けで機械と一体化していると

ときどき機械と一緒に宙を歩いているように錯覚する。

疲れたら刈り終えた田んぼに寝っころがって

みかんを頬張る。

何も考えない。藁くずいじりながらぼんやり海を見る。

脳内にも青空が広がる。

幸せというのは単純なのである。

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2015年10月14日 (水)

このごろイノシシたちは

なりふりかまわず出没するようになってきた。

朝鶏の世話をして

民家に囲まれた別の畑の手入れをしに行くと

イノシシがほんの10m先を歩いていた。

たてがみが長い50kgくらいの雄猪。

ばったり出くわしても相手は

ひるんだそぶりもない。

反対に歩いていったりまた向かってきたり

植えてあるネギやオクラの畝を駆け回る。

Img01683 オクラ畝の間で追いかけていくと突進してくる。

いったん草むらに身を隠して

また畑に戻ってくる。など

人間のほうがからかわれているみたいだった。

近未来では

のら水牛と人が共生しているインドのように日本でも

のら猪と人が穏やかに?共に暮らしているかもしれない。

2015年10月13日 (火)

若穫り大豆

今育てている畑。

無肥料で大豆を育てて5年目になるのだが

年を追うごとに出来が良くなる。自画自賛。

おそらく土の中に根粒菌が定着し

保水と水はけが大豆にとって

良好な居心地に成りつつあるのだろう。

実がもぶりつく。毎晩枝豆で頂く。

鞘のなかの豆は肥大しすぎず

なのにぽっこり張りつめている。

自分で言うのもなんだが

芳しい底味といいこの枝豆お買い得でございます。

夏の枝豆(早生大豆)におとらず

肌寒くなりつつある中秋の枝豆

をかみしめる幸せは言葉でつくせない。

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2015年10月12日 (月)

竹取り

かぐや姫に登場する竹取の翁は

取った竹をよろずのことに使うという。

おそらく翁は竹細工職人だったのではないか。

そんな高尚な目的で竹を取ってみたいが

今回は稲のはぜ掛けのため。

淡竹がちょうどいい。

山はどこも竹ばかりなので入手するのは困らない。

でもコンバインで刈れば竹なんぞ取る必要もないわけで

余計な労力にちがいない。

じゃあなんでわざわざはぜ掛けしたいのか。

理由はあれこれおもいつくがつまるところ

遊びなのだ。お百姓仕事はなべて遊びの延長。

遊びといっても趣味という意味ではなく

時間をもてあましているわけでもない。

アソビとは精神的な余裕のこと。たとえば

車のアクセルについて教習所で習う。

アクセル踏むときアソビのない車は危ないですよと。

はぜ掛けするため山で竹を刈るのは

労働の踊り場。

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2015年10月11日 (日)

大根間引き菜

日本は平和だ。今のところは。

稲刈りしたり山のなかを散策したり

小さな畑の大根芽が出たのを間引いたり

そんなこんなで日が暮れる。

間引きした大根の葉が

あまりにきれいだったので

鶏の餌にするのもったいない。

すりごまと和えてお浸しにしてみた。

この時季

葉物根物の若い摘み菜をちょくちょく頂く。

若い葉はくせのないやわらかさで

これこそお百姓の役得ですね。

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2015年10月10日 (土)

びびへ

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人間の言葉は他の動物には通じない。

当然ネコにも通じない。おまえの生前

オレはおまえが道路を大胆に渡ろうとするたびに

ひっつかまえて額を合わせて

車は危険というメッセージを送り続けた。

車に轢かれたらこんな死に方をするんだよ

と脳内で作った映像をおまえの感情に届けていたつもりだった。

でも効果なかった。案の定車にはねられた。

亡骸を抱えたとき涙があふれて

「あんなになんどもなんども伝えたのに

なんでわかってくれなかった」そう怒鳴った。

朝もやがまだ残っていた。

おまえがはねられて横たわっていた道路の下には海岸が広がり

砂浜にはさっきまで小鳥を追いかけていたらしいおまえの足跡が

てんてんとついていた。いいかげん遊びつかれて

さておうちに帰ろーと道路に飛び出したんだなと想像した。

おまえと心は通じ合っていたのに

伝えきれなかった。また帰ってきてほしいな。

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