生きる
こういうタイトルの
黒澤映画があった。1952年封切。
16、7年前かな
姫路の市民会館?大きなホールで観た。
志村喬主演。しがない一公務員だった男が
ある日余命いくばくもないと知り
マンネリと化していた生き方を変える。
のちにマルセ太郎が
志村役を一人芝居で熱演する。
マルセさんが亡くなる前に
ライブで観たかった。
毒を喰らわば皿まで。
そういう徹底してのめりこむような
生きざまはあこがれである。
さしずめ今のオレは
自分が頂く命にたいして懸命に生きる。
がつがつと喰うために生きる。
自分の血や肉に変わる他の生きものを
畏れ敬い五感を澄まして生きる。
現代即席に胃を満たすものがあふれてて
生きる切実さがぼやけている。
喰うためにもっと必死になったほうがいい。
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すごく研ぎ澄まされた文章。その感覚自体が研ぎ澄まされているんですね。自分はもっと鈍くぼんやりと同じようなことを考えていたような気にさせられます。ただ、言われてみてそうだそうだ!って思いこんでるだけなんでしょうか。
投稿: ひろくん | 2013年11月29日 (金) 06時14分
食べるために生きているのか、生きるために食べているのか…私はぼんやり生きています…( ̄ー ̄;)ゞ
投稿: きょん | 2013年11月29日 (金) 18時17分