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2015年9月

2015年9月10日 (木)

雨の日

日中雨模様の日は家でごろごろ。

本や漫画を読んでうたた寝まどろむ。

田畑はともかく

家畜の餌やりや卵集めには行かなくてはならない。

相方はなとどっちがその勤めを果たすかでもめる。

あまりに物語に没頭しすぎて

現実世界で仕事をするのが億劫になる。

あまりに物語にはまりこむと

現実と空想がパラレルに推進しはじめ

自分の頭のなかは空想に体のほうは現実に分離し

頭が現実になかなか戻ってこない。

陽が差さないと家中が暗いせいもある。

うちはきほん毎日日曜だが

とくに雨の日は現実感が溶融する。

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2015年9月 9日 (水)

包む

中華料理にかぎらず

具を穀類の生地で包み

蒸したり揚げたり焼いたり。

具の汁や旨味を

生地皮におさめしみこませる。

具の中には野菜香辛料お肉など。

そのまま主食にもなる。

包むという料理に

なぜか愛着が湧く。

Dsc01787 うちの相方はなはしょっちゅう餃子こしらえる。

焼き加減によって隣の生地同士がくっついて

やぶれかぶれになることもあるが

やっぱり手作りがいちばん。

2015年9月 8日 (火)

穫りこぼし

今年はズッキーニをいっぱい育てた。

つるなしの若穫りかぼちゃ。

ぺぽかぼちゃやそーめん瓜に似ている。

ズッキーニを種が採れるまで完熟させて

縦半分に割ると果肉がそーめん瓜みたいに

繊維で渦巻いている。

これらが近くにあると交雑するかも。

秋野菜の準備のため

ズッキーニ畑草刈りしていると

収穫しそびれて少し硬くなったのを見つけた。

半月に切り

フライパンに少量バターとオリーブオイルをひいて

弱火でじっくり炒める。味付けは胡椒と塩。

ちょっと焦げめがついたところで頂きます。

Dsc01803 大地の恵みに感謝。

2015年9月 7日 (月)

寛恕

もう何年か前ウーファーとしてうちに訪れた

シャンという名のカナダ人の大男。

身長が190cm以上靴のサイズ30cm以上あって

体つきもたくましい。

その彼がある日の夕食時に

うちの食事を咎める口調で言う。

アフリカではあなたたちのようなこんな贅沢はできない人が

たくさんいる。あなたたちは

よく酒を飲み冷蔵庫には食べ物がいっぱいあって

テーブルには毎晩ごちそうがならぶ。

こんな生活はまちがっているんじゃないですか?

とまあだいたいこんな趣旨の話。シャンちょっと待て。

そうオレは言った。酒はともかくこのテーブルにある

ご飯も野菜もだいたいがうちの畑のもの。

うちでは日々食べるものはこだわると決めている。

この食事を今以上に質素にしたらアフリカの子どもたちが

救われるのかい?ひるがえってシャンはなぜここにいるの?

先進国のお金持って気ままな旅をして裕福な日本に来ている。

そんな人からオレたちの暮らしに文句言われたくない。

自分たちは遠くよりも足元が大事という信念で生きているだけだ。

とそんな口論になった。でも翌日になると

昨晩の口論ですっきりした自分がいた。シャンも気にしてない。

納得しなくてもいい。その後も別の形でこの話題は続く。

それはそれ。議論はいいじゃないか。外国からくる人々の

このあっけらかんとした態度が気に入った。

ヨーロッパの国々が移民を大勢受け入れる寛容さに

シャンを思い出した。

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2015年9月 6日 (日)

絶対

個人的に注意していることがある。

それは「ぜったい」という言葉。

絶対出来んとか絶対そうなるとか

絶対が前に付くとその言辞は

ことごとく疑わしくなる。絶対とは

他のものとは比較できないほど完全に

という意味にとれる。誰にも文句は言わせない

議論の余地ないという対話拒否の枕言葉みたいだ。

とか言いつつも

会話のなかでついついゼッタイと口走ってしまいそうになる。

かの原発はどうだっただろう。絶対安全だったか。

この世界に絶対的に完璧なものはない。

完璧や絶対を求める精神は往々にして権力やカネがらみ。

地球という生身の存在じたいが

移ろいやすくはかないものだ。

微妙な誤差と非力さを噛みしめながら生きていきたい。

Dsc01505 最近買った徳利。萩アーケード内の雑貨屋。

沖縄のカラカラみたい。いつか壊しそうな曲線美に魅かれた。

2015年9月 5日 (土)

名古屋コーチン

以前友人の形見分けでいただいた地鶏。

名古屋コーチンという有名な品種の鶏がいる。

雌2羽雄1羽つがいでもらったのだが

この雄が曲者。ふつうの鶏の雄よりひとまわりでかい。

餌やりや水替えのとき必ず襲いかかってくる。

ほんとまじで襲いかかるという表現がふさわしい。

常に彼を意識し背後に回りこまれないように

用心して部屋に入らないとやられる。

世話人が入ってくるとよそを向いて

俺はあんたなんて知らないよー

という無関心的そぶりをとる。安心していると

突然こちらに振り向き猛ダッシュで跳び蹴りを食らわせてくる。

蹴爪をぐさっと刺すのではなく

蹴爪を使ってばちばちばちと連続往復ビンタ

+爪先剃刀攻撃である。

これを立ち姿勢で食らうとよろけ膝に青あざができる。

屈んだ拍子にやられると顔面流血事件になる。

ひっつかまえて押さえつけるとタスケテーと鳴く。

気性の荒い鶏のボスを甘く見てはいけない。

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2015年9月 4日 (金)

匂い

5月初旬あたりの周防大島は

みかんの花の香りでいっぱいになる。

9月の初旬あたりは

化学薬品のきつい匂いがそこかしこ漂う。

この時期みかんに付くハエを防除するために

各々の農家がいっせいに噴霧するジメトエート

の匂いだろう。

うちも近隣農家からみかんを頂くので

えらそうなことは言えない。それはわかっているのだが

鼻腔に達すると頭痛がする。

この刺激臭に過剰に反応してしまう。からだの声が

この匂いから逃げろ

と鋭く促す。農家の方々は勤勉だ。でもからだの声に従いたい。

昨日は雑草を非難したが

人間のエゴイズムよりもたくましく育つ雑草の存在は大切。

Dsc01663 初夏のうど

2015年9月 3日 (木)

草刈り

毎年毎年初夏になると

草刈りが日常の仕事になる。

最盛期には刈っても刈っても

4~5日したら生えてきて

2週間も放っておいたらもう

どこに種を蒔いたか苗を植えたか

わからなくなるほど草に埋もれる。

草刈機を使わない日がない。

十把一絡げに雑草と言っても

それぞれに名前をもっているので

雑草という言葉でくくることに迷いがある。

でもあえて言えば

雑草は種蒔きも苗作りも手入れもされないのに

自分の力で立派に成長して種を落とす。

人間の育てる野菜のほうが

雑草を押しのけてはびこってほしいものだ。

Dsc00807 先日の台風で大豆がなぎ倒された。

2015年9月 2日 (水)

バジル

シソ科の一年草。

毎年4月にバジルの種をいっぱい蒔く。

育苗箱にすじ蒔きして5cmくらいに育ったのを

雨が降る前後に

方々の畑に植え付ける。

夏野菜は一株が大きいので株間もひろい。

その空いた片隅に

2~3本まとめたバジルの苗を差しておく。

ケールやトマトとはとくに相性良いらしい。

苗が小さいときは雑草といっしょに刈ってしまいそうになるが

ある程度大きくなると放ったらかし。摘心しない。

忘れた頃にあちこち顔をだしている。虫も寄りつかない。

バジルの香りはささくれた気持ちをなだめてくれる。

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2015年9月 1日 (火)

スズメバチ

鶏舎の入り口

戸の上にコガタスズメバチが巣を作る。

彼らは8月上旬頃やってきて

気がついたときにはバレーボールより

一回り小さいくらいの巣ができていた。

その入り口をはなが出入りしてて見事刺された。

以前オレも石垣に巣作ったオオスズメバチを

駆除してやろうと夜重装備で近づいたら

逆襲された。あの痛みは尋常じゃない。

コガタスズメバチはそれほど激しい突撃もないし

オオスズメバチに比べたら毒性もたいしたことない。

それでもやはり恐い。不便だし草刈りもできない。

この2週間以上そのコスズメバチの巣を

長い竹の先で叩き落とし続けている。

落としても落としても翌日には外見が元通りになっている。

営巣場所を替えようとしない。

彼らに言葉が通じればいいのだが。

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