鶏を飼っていて感じるのは
彼らの本能的習性をできるだけ
発揮させてやりたいということ。
ケージの中で飼うと見えないが
土の上で飼うと見える光景がある。
例えば砂浴び。鶏は
砂浴びが大好きである。乾いた土の中に
半身を沈めてまるで温泉にでも浸かっているように
ごろごろする。時折羽で体に土をかける。
ぱっぱっと砂や土を散らす。
そういう鶏の姿を見ていると
なぜか微笑ましい。たぶん彼らには彼らなりの
理由があってそんな動作をするのだろうが
人間の側で想像できるのは
砂でダニや垢を落としているのだろうとか
体を温めているのだろうとか・・。
そんな陳腐な理由しか思いつかない。
彼らにとって砂浴びは遊びなのか仕事なのか
ともかく愉しそうである。
うちはぶーを放牧で10頭くらい飼っている。
鶏は平飼いで坪羽数(1坪あたりの鶏の数)4~5羽で
全体で300羽くらい。産卵始めるまでに生後6か月かかる。
カロリーの低い餌は産卵率も低い。
豚にも鶏にも緑餌たっぷり
餌の中には動物性のたんぱく質はほとんど入れない。
主に穀類を食べさせる。小米、パン粉、ぬか、おからetc
なのでゆっくり育つ。
一般的な養豚業では半年で約100kgの生体重にもっていく。
対してうちのぶーはそこまで肥育するのに1年以上かかる。
一般的なブロイラーの場合坪羽数50~60羽。
約55日前後で生体重3kgにもっていく。
一般的な採卵養鶏の場合生後4か月で産み始める。
産み始めから約1年で全処分する。
高い回転率と動物性たんぱく質の量で
産卵率を徹底して高める。飼育羽数も桁違い。
スーパーマーケットでは
豚肉100~200円(100gあたり)。
卵10個入り1パック200円。
対してうちでは
豚肉400円(100gあたり)。
卵10個入り1パック500円。
さてどちらがお得でしょう?
鶏にしろ豚にしろ
口のついとるもんはせんないのー
とよく言われる。
あのこれ解説する必要ないかもしれないけど
口を持った生き物を飼うと日々の餌や水やりが
欠かせないので面倒だね
という意味合いになるのかな。
でも自分が家畜を暮らしの中に位置づける
大きな理由のひとつは
自由な暮らしの中に一定の縛りを課すため。
朝一番で家畜の世話をする。自分たちの朝ごはんは
そのあとで頂く。まず家畜が先。
彼らに生かさせてもらっているし
朝一で彼らの様子をおこたりなく観察すると安心する。
彼らがいるので遠く旅行にも行けないが
その代り日がな一日畑や田んぼの
こまかな変化をゆっくり見ることができる。
大工仕事をしたり山菜採りをしたり猪狩りや魚釣りもできる。
これは生きる旅である。家畜がいることで縛られるが
日常が旅そのものになる。
香月泰男さんの胸にあった私の地球って
こういうことかもしれない。ちがってたらごめんなさい。
「こんちくしょーめ!」という言葉に代表されるように
フーテンの寅さんもよく使うせりふ
畜生とは
けなすようなニュアンスをふくむ。
ののしるときの決めぜりふである。
そういう畜生をなりわいにしている人も
どちらかというとさげすまれるというか
それほどではないにしても
同情されるべき存在に近い。歴史上でみても
穢多非人などと階層づけられた人々の多くは
四足の獣を扱う仕事に従事した。
近代日本でも家畜業の担い手は
朝鮮から渡ってきた人たちだったり
残飯集めと家畜飼育が同じ意味合いを含んでいた。
てっとりばやく言えば家畜仕事は
汚い仕事なのだ。3Kの2乗くらいの厳しい仕事である。
我らはホイト。人をさげすむより
さげすまれる立場になりたい。