もう13~4年前になるだろうか。
柳井駅北にあった小さなアーケードの一店舗を
ギャラリーにして
福島さんが今まで撮った写真を
展示しておられた。たしか3回ほど訪れた。
パネルに拡大した写真たちは
写された当時の生々しさを醸しており
迫力があった。当人は入り口右手片隅で
もぎりをしながらワープロにかじりついていた。
カウンター代わりのガラスケースには
彫金の作品が販売中?でその脇に立ててあった
スナメリの唄CD一枚買った。
遠慮がちに話しかけてみたら案外気さくに答えてくれた。
若い頃いっとき徳山の精神病院に入っていたことや
全共闘と機動隊の間でもまれたことなど。恐くなかったですか?
と間抜な質問をしたら
カメラに収めるのに夢中で・・と
そのような言葉だったと記憶している。
うまく言えないが
福島さんの存在自体がそこに並ぶ写真以上に
圧倒的な迫力で脳裏に刻まれた。けっして大げさでなく。
10年以上鶏飼ってて
たまにすごく人懐っこい子を発見する。
そういう子の名前はチー(チビがなまってチー)と決まっている。
ふつう平飼いや放し飼いにしていても
人が触ろうとすると嫌がって逃げていくものだが
なかには人から触られたり抱かれたりするのが
苦ではないのがいる。
チーは鶏舎から外に出たくてしょうがない。
人が餌を与えるために鶏舎に入ると
餌のほうには見向きもせず
人とすれ違いに外に出ていく。
でも考えてみると
みんな外に出て気ままに過ごしたいよね。
人の都合で我慢させられているだけ。
かといって野放しにするわけにもいかず。
好奇心旺盛というか飛んでくる虫を食べたいだけなのか。
日本で1年間に屠畜される家畜数は
牛127万頭
豚1660万頭
鶏5億8996万羽という。
(『沖縄の人と豚』 比嘉理麻 著 京都大学学術出版会 参照)
何万頭とか何億羽と言われても
にわかにその数を見当することが難しい。
それにこの数は
日本における屠畜数なので実際に
日本人が食している家畜数は
輸入製品も含めると倍かその倍か。
この数を挙げた理由は
これだけの家畜が食べている飼料を
ちょっと想像してみたかったからである。
つくづく日本の家畜というものは
輸入飼料それも多くが遺伝子組み換え飼料に依存している。
かたや日本人は大量の食品残滓物を重油で燃やす。
こういう飽食の在り方が国として
どうにかできないものかな。
家畜由来の病気を取り締まるのは
ヒステリーなほどの家畜行政なのに。
日本人は今の渦巻く雑多な情報を
器用に使いこなしているか。
テレビもネットもスマホも
ぜんぶ不要なんじゃないかという声がときどき聞こえる。
頼っていながら要らないというのも横着だが
幻聴のようにいらんうるさいうっとおしいという声が聞こえる
ような気がする。実際のところ
サルが暇つぶしにスマホいじってるのと
そう隔たったちがいはなさそうに見える。
サルに対して失礼かもしれないがもう少し続ける。
S.キューブリックの『2001年宇宙の旅』冒頭
R.シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』BGMで
原始人が棍棒を振りまわす映像が浮かぶ。
その棍棒が情報の象徴であるスマホに変わっても
サルはやっぱりサルだ。
テレビもネットもスマホも
そんな物影も形もなかった時代の日本人のほうが総じて
賢かったんじゃないかという気がする。