« 2014年7月 | メイン | 2014年9月 »
新しい鶏小屋を建てていると
それを見た方々から
鶏の数を増やすんですか?
という質問を受けることが多い。
暗に卵が順調に売れていいですねえ。
というニュアンスを感じてしまう。
ちょっと口ごもってえっとーいやー
飼育羽数を増やすわけじゃなくて
一鶏舎の羽数を減らしたいのですよ。
と答えるが質問者はちょっと首をかしげる方が多い。
なるほど全体の羽数を増やさず
鶏小舎を増やすというのは経済的には損なわけで
なんだか納得いかない
のかもしれない。
しんどいとき疲れたとき
つらいとき苦しいとき
思い出す歌がある。
フォークソングの大御所高石ともや
ちょっと歌詞を拝借。
♪よろこーびの朝もある
涙ーの夜もある・・・
陽気に行こう どんなときでも
陽気に行こう 苦しーことはわかってるのさ
さー 陽気に行こう
人間陽気に生きたいね。
久賀の阿弥陀寺で。昨年秋かな。
うちのおじいが生前
カボチャのことをナンキンと呼んでいたが
あれは方言なのか。
今年はバターナッツを多めに育ててみた。
かぎりなく放任栽培。
初期生育だけ草を刈って敷料にして
後の草は生えるに任せた。
カボチャは陽の光を求めて
5~6mも蔓を伸ばしトマトやキュウリの支柱を占拠したり
畑の周りを草刈り機で刈っていると
おもいもよらぬところに隠れていて
傷をつけてしまう。そんな
傷ついたバターナッツをスープにしてみた。
自家製パンを浸して頂く。ワインのお供に。
黒澤明監督の名作。
志村喬扮するミイラ課長が
ある日癌で余命いくばくもないと知り
新しい人生を模索する。
先日フィルマラで観た。20年前にも
どこかの映画祭で観た。あらためて
我が身を振り返る好機となった。
20年前のオレはいつも不安で鬱屈した気分を
持て余していた。それに比べると
いま自分が立っている暮らしはなんて柔軟で
自由なんだろう。生き続けてよかった。
生かし続けてくれたすべての存在に感謝。でも
20年前の鬱屈さが今を導いてくれているともいえる。
人生なにがいいわるいじゃないよね。
現在うちの山で大発生中である
この毛虫。
名前をフクラスズメというらしい。
正確には
フクラスズメという蛾の幼虫。
ヤブマオだけをそれはもう
必死になって喰い続ける。
喰って喰って喰いまくって
茎だけになる。そうなったらヤブマオが
絶えてしまうんじゃないかという気もするが
心配無用。したたかな草で
芋のような塊根さえ生きていれば
またすぐ繁茂する。
ヤブマオばかりがはびこらないように
フクラスズメが制御しているのかもしれない。
近くを通ると体をしならせて威嚇しているつもりなのか。
その滑稽なしぐさから
うちでは彼らのことをビヨンビヨンと呼んでいる。
鶏の世話は日々の緑餌集め
と言っても過言でないほど
鶏には緑の草が必要なのだ。
べつに野菜じゃなくても
そこらへんに生えている雑草を刈って
与えればいいのである。
5月から10月くらいにかけて
うちではヤブマオという野草をこれでもか
というほど鶏舎に放り込む。
鶏たちにとって人気野草のひとつ。
このヤブマオ3~4年に一度くらいの間隔で
毛虫が大発生するのだった。今年はその当たり年。
安定剤という薬があるが
精神に安定はない。
薬信仰者には気の毒かもしれないが
心が安定した状態というのは
既に死亡しているか脳死状態かである。
心は常に揺れ動く。
生きている限り刻々と。
どんな人間も驚き迷い喜び
心は変化して休まらない。それは
自然の風景とおなじ。
稲穂は風にそよぎ太陽の熱射にうなだれ
朝露を葉の上で転がしながら
刻々と体質を変えていく。
この世界は不安定の連続で成り立つ。
同じ久賀町内の方から
ぶどうを頂いた。ピオーネという品種。
その方は無農薬で11株のぶどうを
育てているとのこと。ありがたい。
果樹は農薬せずに作るのは難しいできないと
頭から決めている農家は多い。
農薬に大げさに騒ぐほどの害はない
無農薬にこだわる人を理解できん
と言われたこともある。そのときオレは
まともに答えられず口ごもってしまった。
それでも試してみたいんですよ。
と今なら返したいけど。
人間にだけ都合のいい世界なんてない。
ちょっとした 集まり。
楽しい ひと時、 いろいろな 会話。
たくさんの 話題。
11人いたけど
家にテレビが ある人は 1人 だった。
わーーーい、 「 テレビ無し 時代 」 の 波が 来てるね。
二十歳頃しばらく
沖縄で過ごした。博多からフェリーで
なんとなく沖縄に渡って
はじめは那覇の安宿を拠点にぶらぶらしていた。
あまり暇を持て余すと体がなまるので
さとうきび刈りの季節労働を探しながら
あちこち歩いて結局
久米島という離島の製糖工場にたどりつき
勤めることになった。そこで
およそ3ヶ月休み無し
1週間ごと昼勤と夜勤を繰り返す。当時
工場の近くに若草荘という民宿があって
そこがタコ部屋みたいな雰囲気。
おもしろい人たちといっぱい知り合った。
いま辺野古が熱い。米軍基地を作るために
日本人同士うちなんちゅ同士がいがみ合う。
マージナル統治の典型である。