東京電力が公式に発表する
この言葉の真意はどこにあるのかな?
新聞記事では
事実として書かれているにもかかわらず
当事者の東京電力株式会社は
「高濃度の放射能汚染水が海へ
流出した可能性を否定はしませんよ」
という他者から目線で
国民に伝えている。つまりあれかな
「高濃度の放射能汚染水が海へ
流れ出ているかもしれないけど
それを指摘されたところで
どうもできませんよ」
という投げやり的意味なのかな。それとも
「高濃度の放射能汚染水が海へ
流れ出ているかもしれないけど
ガイガーカウンターの数値でわかるだけで
目視確認できないので
なんとも言えませんよ」
っていうジョークなのかな。それとも
「高濃度の放射能汚染水が海へ
流れ出ているかもしれないけど
肯定もしないし否定もしませんよ」
という中立的おっさんみたいな立場で
国民に一応の言い訳をしてるのかな。いずれにしろ
こういう言葉に妙にひっかかる
今日この頃であった。
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自分の中に住んでいる人が多いほど
その人の心は広大である。
と誰かが言った。
私には理解できない行動の人も
私と異なる考えの人も
もちろん私の好きな人も
私が今までに出会って別れた人も
もうこの世にいない人も
本や映画など物語に出てくる人も
使う言語がちがう人も
罪をつくり他者を殺めた人も
・・
この世にはいろんな人がいて
私にとっていいとかわるいではなく
私も含めて網目のようにつながっている。
私の内に住む人々を切り捨てず殺さず
歳を重ねるほど
私の心に住む人が多くなる
そういう一生をおくりたいと
その人は言った。
現実の世界で一緒に住むのは難しくても
心の中ならいいでしょう、と。
四葉のクローバーならぬ四粒の枝豆って?
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ここ最近きわめて
政治的な国民誘導がはなはだしい。
政権とメディアが一体化してしまったようだ。
たぶん最近に限らず
そういう流れはずっと続いていたのだろう。
あまり気づけなかっただけ。
テレビもラジオも新聞もそろいもそろって
毒にも薬にもならない情報を垂れ流す人ばかり
日本の将来を左右する問題の核心について
深める気はこれっぽちもない
ように見える。
憲法改正って微妙に操作言葉である。
改めることが正しいことであるかのように
単語を使って印象づける。本来は改定。
先日の参院選の報道は開票前から
自民圧勝を連呼する。暗に投票率を下げたいのか?
原発やTPPや北朝鮮に関する報道も政府の九官鳥みたい。
安べノミクスの根拠のない賞賛を
中立的に解説するふりをしたり。
こういうのを体制翼賛っていうんじゃなかったっけ?
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毎日暑い日が続く。
昼間はぼーっとして
(ま、季節を問わずいつものことだが)
猫のようにぐにゃーっと横になっている。
そんな頭の中も
一応わずかながら働いていて
8月の終わりまでに
あそこの畑の草刈りやらないと、とか
陥没してる段々畑に土入れて整地しないと、とか
宿題がかけめぐる。思い返せば
小中学校の夏休みもこんなふうに
だらだらと過ぎていったような。
今も毎日夏休みのような?暮らしなのでなおさらだらだら。
でも考えてみると自分が
働けば働くほど人類全体がなんだか忙しくなるような
そんな気がするので
極力なんもせずぼーっとして暮らすのも
地球のためなのかもしれない。
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日本という国は一応建て前では
議会民主制という
国会という議論する場で
法律や国全体の政策を決めましょうと。つまり
国の代表者同士が
筋道立てた話し合いで物事を決める
と戦後決めたらしい。
実際のところ戦後から今日まで
自民党の多勢に無勢のごり押しで強行採決される
法案が後を絶たないので
議会制民主主義は建て前で
現実はたんなる幼稚な多数決制と呼ぶべき。ところで
『忘れられた日本人』
という宮本常一さんの著書がある。
そのなかで、「村の寄あい」という一編。
集落に住む人が辻やお堂に集い
二晩も三晩もあきもせずに話し合いを続けるという。
かつては日本のあちこちで見られたであろう
いわば直接民主制いにしえ版である。
大政党に有利な選挙制度や投票率50%の状況を
反省するなら
いっそのこと村落単位のような小さな共同体での熟議を
取り戻したほうがおもしろそうだ。