猪を仕留めて解体して保存する。
と一言にしてしまうと簡単なように聞こえる。
これがなかなかの労力なのだ。
まず獲物の命を落としたときの血抜きが必要。
次にできるだけはやく内臓を出し
腹腔内を冷やす。内臓を取るときも
膀胱や腸をいたずらに傷つけないように
注意深くことにあたる。
獲ったのが夕方の場合はとりあえず内臓だけは取って
流水に浸け屠体を冷やす。
カラスや他の動物に荒らされないように覆いをする。
翌朝皮を剥ぎ部位ごとに分ける。さらに
肉の表面に付着する脂肪の切れ端や小さな血塊
毛やごみなどを丁寧にこそいで除いて
清潔な袋に包む。ここまでで大した時間がかかる。
頂いた命をできるかぎり労わる。
お肉の面をきれいにする手仕事は祈りに似ている。
世の中ときどきばかばかしい流行が沸き起こる。
妖怪ブームだと言う。
ヨーカイウォッチヨーカイ体操なんじゃそりゃ。
子どもが惹かれそうな商品と抱き合わせて
歌や踊りを作るのはディズニーやマックでおなじみの
物語商法ではあるが・・。
そもそも魔物もののけ妖怪の類は
ひとけのないひっそりとしめった
うすぐらい物陰にそっとたたずむイキモノ
ではないかと想像する。しかしながら
昨今巷を賑わしている妖怪は
じつに明るいところに堂々と姿を現す。
つい30年前はまだ街中に妖しい暗がりが点在していた。
田舎のジジババんちの便所に深夜用を足すのは
子どもながらにびびりまくっていた。
今は24時間営業チェーン店全盛期。
至るところ電飾ぎらぎら。流通も眠らない。
LEDだったらいいのか電気使いまくり。
ほんものの妖怪が住めるように
健全な夜を取り戻したい。
うちの冬の定番鍋はシシ鍋
と決めているのはわたくしだけで
相方はそうではないらしい。
そもそも冷凍庫の場所をしし肉がかなり占領している。
なのでこっちは単純に
肉類は一切購入禁止のお触れをだすのだが
相方はそれを黙殺してたまに肉を買ってくるので
激しい口論になる。彼女の言い分は
鍋に入れるお肉がきっちりスライスされていないと
気に食わない。それとできるなら
鍋物には獣くさくないお肉を使いたいなどと
まったくもって贅沢至極。
わたくしの理想とする日々の食と
そりが合わないことがしばしばあるのだった。
たかだか鍋の具の話なのだが互いに譲らない。
ササゲ豆味噌で味付け。大地の恵みに感謝。
大衆という言葉は
権力者が市民を軽んじて指す言葉である。
市民とは自らの立ち位置を
政治的経済的に自覚した国民。
ただ往々にして
民主主義という白黒はっきりさせないシステムでは
大衆は温存される。
大衆は支配の傘の下で整列させられていても気付かない。
政治的な力によって旅券を取り上げられる新聞記者
がどんなにその不条理を訴えても大衆の懐には響かない。
大衆はたとえ矛盾でも信じたいものだけを信じる。
この食べ物は完全栄養食ですとテレビで
大々的に取り上げられれば信じるし
この酒ほどうまい酒はないとネット上で
激流になればやっぱり信じる。
大衆は一度手になじんだ物を手放すのが恐い。
選挙とタレントと有名人をごちゃまぜでとらえて
彼らの言葉の表裏を分析できない。
過半数の市民が大衆の存在を外から見るなら
大衆はいなくなるだろう。そんな
ネオデモクラシー時代がいつか訪れるだろうか。