2015年2月15日 (日)

味噌汁

朝目が覚めてなにが愉しみかって

お味噌汁を頂くことでございます。

起床してすぐに山へ鶏の世話や畑の収穫。

ひと働きしてうちに帰る。

それから人間の朝めし。

しみじみとすする。具は豆腐わかめ

ねぎ大根しいたけ他季節の葉物。

酵母が活きている味噌の味をいちいち

形容しようがない。

手前味噌をこしらえた本人にしかわからない。

すべて己が納得済みの味である。

たかだか手前味噌ではあるがこの味噌汁のおかげで

やっと脳みそが覚醒する。

Dsc01251 黒米ごはん味噌汁めだま焼白菜一夜漬け。

2015年2月14日 (土)

焼き芋

労働の合間に焚火で焼き芋。

ぷーんと甘い香りが漂ってくるともう

目はその場所ばかりを注視してしまう。

うちの焚火焼き芋の手順は

芋をたわしでよく洗って封筒に入れる。

それを水で濡らした後に銀紙でくるんでさらに

それを新聞紙に包んで湿らせる。

その状態で灰の奥に突っこむ。

ここ肝心なところだが

激しく燃えさかっている炎の下ではなくて

火の中心部からほんの少し離れた

灰の下に芋を据える。灰で覆う。

かじかむ手でほっこりと焼けた芋を握るとき

しぜんに顔がゆるむんですよねこれが。

Dsc01291

追記

おいしそうに焼けた だい珠玉の 紫芋 の画像を消してしまい

だいに 大怒られした はなですweep

代わりに こちらの 画像をどうぞ。

道の駅サザンセトとうわにて 絶賛発売中happy01

結局は 宣伝?ごめんなさいbleah

 

2015年2月13日 (金)

竹を刈る

鶏舎からの見晴らしよくするために

この頃暇さえあれば

竹刈りに精を出す。

急勾配の段々畑はその昔水田だったらしいが

今は見る影もない。

ところどころ陥没して

石垣もことごとく崩れてただの丘陵に見える。

100年前の日本人が文字通り必死になって

切り拓いた棚田は徐々に自然に還りつつある。

竹を刈った跡地に

八重の桜でも植えてみようかと考えている。

Dsc01807 今鶏舎が建っている場所もかつて竹に覆われていた。

2015年2月12日 (木)

かぼちゃスープ

ふだんは昼メシはとらない。

間食に市販のお菓子など頂く習慣もない。

昼に食事をすると眠くなったり

戸外に出て働くのがおっくうになりそうで

遅い朝食と遅い夕食が日課である。

がたまに休憩したときおやつを頂いてちょっと後悔する。

自家製食パン一切れ口に入れると

止まらなくなりもう一切れもう一切れと

きりがない。一斤お腹にいれてしまいそうになる。

そんな誘惑に負けそうな

昼下がりの午後

薪ストーブで蒸し焼きしたバターナッツから作った

あつあつポタージュスープ。

Dsc01270 かぼちゃ達もそろそろ限界。

2015年2月11日 (水)

ごちそう

日常の間隙にひそむ

オレにとってのごちそうとは

いったい何だろう。と考えてみた。

『アメリ』のオドレイ・トトゥではないが・・。

薪ストーブの燠がぱちぱちとはぜる音。

小春日の陽だまりで体をまるめて昼寝。

ごろごろと甘えた猫ののどぼとけの触感。

小汚い酒場で友と熱く語り合う純真さ。

真夏に街を歩く女の子の白い肌のまぶしさ。

農作業で疲れ果てて眠る前のまどろみ。

めったに口に入らない十割そばをすする時ののどごし。

なにげなく曲がった路地で偶然見つけた古本屋。

せいぜいそんなこと。気分の贅沢。

人間ってこんなにささいな空想で

その情景を頭のなかで再現できる。幸せは目の前にある。

Dsc01264 海鼠と大根擂り。喉が鳴る。

2015年2月10日 (火)

わかること

『妻の病 —レビー小体型認知症―』という

ドキュメンタリーを観る。伊勢 真一 演出作品。

弥生さんが口ずさむ「ラ・クンパルシータ」が

いつまでも耳に残った。

人を理解するって難しい。

弥生さんを介護する夫の浩市さんは言う。

「彼女が目の前の物を

どう視覚的に認知して

どういうふうに見えているんだろう。それをわかりたい。」

これは自分の考えだが

人をわかることはできないんじゃないか。

わかった気持ちになることができるだけではないか。

浩市さんに反論しているつもりはない。

ひとをわかるという行為は結局

想像の奥行の問題ではないか。相手のことをわかりたい。

相手と自分の世界観をシンクロさせたいと願う。

どこまでもどこまでもそれを追い求めても

相手が受けとる世界を追尾的に想像することでしか

わかりたいという欠落感は埋まらないのではないか。

しんと冷える夜にそんな余韻が浮かんだ。

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2015年2月 9日 (月)

豆乳鍋

底冷えする晩のメシはたいがい鍋

と決めている。

野菜類は畑に行けば

ふんだんにあるし

肉類を所望であれば

シシ肉やうちの鶏肉が冷凍してある。

鍋以外に検討の余地なしというところでしょう。

今晩は豆乳鍋。前回へた打って乳成分が分離したので

仕込みに胡麻油と豆乳を合わせて乳化させ

さらに水溶き片栗粉を加えて分離を防ぐ。

シメにおじやで温まる。

わたしたちの血や肉にかわる命に感謝。

いくら感謝してもしすぎることはない。

Dsc01261 ごっつぁんです。

2015年2月 8日 (日)

お金の話

サラリーマンだった頃

お金が生活の目盛のようだった。

とにかく月々の給料の中から

家賃食費光熱費交際費雑費等々

目減りしていく。そこになんの疑いもなかった。

周防大島に移りお百姓をはじめて

世の中にはお金と引き換えにできない恵み

によって生活が成り立つという

展望がひろがった。

ご近所や友人たちからいろんな

旬の食べ物を頂いたり私たちもお返ししたり

菜っ葉でも米でも

耕作する土さえあればほとんどお金はかからない。

暮らしの中でお金に換算する物の割合が

極端に減ったにもかかわらずサラリーマン時代より

豊かな気持ちで生きている。ふと気づく。

放射能汚染で失われた福島及び周辺の大地は

お金では計ることができないという現実を。

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2015年2月 7日 (土)

臆病さ

うちの犬はmaroという。

今年でもう10歳になる。

そろそろ老犬の域に入っているが

よく吠える。近所のみなさんごめんなさい。

小さい頃から神経質と動物病院の先生にも言われ

やたら吠えるんですが治すことはできますか?

と問うと先生曰く

外からの刺激が少ない場所で飼うしかないと。

道行く人に対して過剰に吠えるのは

臆病さの裏返しという。ようするに

彼女は自分の知らない人が恐いのだ。

犬のふり見て我が身を振り返る。

Dsc03386 なりは小さくかわいいといえばかわいいのだが気性が激しい。

2015年2月 6日 (金)

貪欲と鈍欲

日に2回うちの鶏たちに餌やりを

するのだが彼らはいつも腹をすかせている。

みながみな空腹を訴えるわけではないが

やはり卵をよく産む子ほど

要求度が高い。

平飼い養鶏も放牧豚も基本は

腹八分給餌といって

常時満腹にしない。人間も同じだが

常に満腹中枢が満たされていると

集中力や運動感覚が鈍る。

腹がへった時

あぁ腹へったな~という感覚が必要なのだ。

現代人はあまりに食欲が飽和しており

生存本能や危機を察知する能力が衰えている。

五感を研ぎ澄ましたい。

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