2015年10月21日 (水)

稲作

うちで田んぼを育てはじめたきっかけは

鶏の餌だった。

就農して採卵養鶏を始めるのとほぼ同時に

近所の方に田んぼをお借りした。

かねがね鶏の餌に

外国産トウモロコシを使いたくなくて

代わりに小米いわゆるくず米主体の

自家配合にしたかった。といっても当時

自分は米に関して無知に等しかった。

そんな者が農家に小米を頼むというのが臆した。

だったらまず自分で米を育ててみよう

とそんな単純な理由で現在に至る。

でも田んぼにはたくさん教えられる。

Dsc01825 昔の人々の勤勉さを見習いたいが足元にも及ばない。

2015年10月20日 (火)

化身

たびたびイノシシの話題で申しわけない。

べつに自己満悦なわけじゃない。

ただ野生の獣を狩るという行為が

いったいどういうことか

自分自身整理つかないので

文章を紡いでどこかで折り合いたいのである。

自分が殺したイノシシを弔いたい

と言い換えてもいい。

仕留める刹那の興奮もはずかしい。

イノシシは元々この周防大島に存在しなかった動物

とはいえ現在はこの島の山で生き成長する。

既にここで世代をつなぎおよそ10年。

悠然とこの島の地を歩く。ある種の神。

オレは神の化身を殺しているのとおなじ。

オマエにこの偉大な神の化身を殺すに足る資格があるか。

そう問われているような気がする。

今の自分には応える術がない。畏れ敬いながら狩る。

今のところそう謙虚に構えるしか能がない。

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2015年10月19日 (月)

はしり椎茸

ここ何日か

秋のシイタケが大発生する。

シイタケって

発生から生育段階でそれぞれ名前がある。

蕾から傘がまだほとんど開いてないものはドンコ。

開き始めたけどまだ頭が丸み帯びてるのはコウコ。

しっかり傘のえらが張って内襞が白く立っているのはコウシン。

傘が破れかけ頭が反るところまでいくとバレ。

などと呼ぶらしい。

ちなみに私個人的には

コウシンあたりが好み。肉の厚みと

歯ごたえとシイタケ特有の香りが鼻腔を刺激し

食指をそそられる。

オーブンでほんのり汁けが出る程度焼いて

酢橘を搾りかけて頂く。

Dsc01944 自然の恵みに感謝。

2015年10月18日 (日)

昼寝

ここんとこ快晴がつづく。

稲刈りして干すにはちょうどいい天気。

一息ついて

土のうえに仰向けになり

雲ひとつない

吸いこまれそうな青い空をみる。

この空から見れば

人間の活動なんてちっぽけ極まりない。

人はときどき青い空を見て

意識の外に出ていく。

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2015年10月17日 (土)

マルシェ

第1と第3土曜日恒例のマルシェ。久賀の生涯学習のむら。

自分なりの言葉にかんして基本的考え。

カタカナ語をなるべく排すると決めている。

なのでマルシェとかファーマーズマーケットとか

そういう横文字呼び方に対して

微妙に距離感がある。ほんとは農家土曜市とかお百姓市場とか

そんな日本語でいいと感じる。ただまぁマルシェという仏語は

短くて呼び易くお洒落っぽい名前ではある。

それと似たようなこだわりかもしれないが

うちで育てた野菜などを

オーガニックとか有機野菜とか無農薬とか

ことさら強調するのもダサい気がする。

そもそもこれからの時代

できるかぎり農薬や化学肥料に頼らない農を営みたい

人々が主流になっていくのは間違いない。断定。

それがあたりまえなんだから

わざわざあたりまえなことを主張する必要もない。

お客さんに尋ねられたら

野菜を無農薬で育てるなんてそんな難しいことじゃない

といばって言いたい。

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2015年10月16日 (金)

カラス

ハシボソカラスというのだろう。

時期によってしばらく大群で居つく。

先日稲を干したばかりの田んぼやその回りの電線に

彼らが群れておった。

干してあるはぜに防鳥ネットを張ろうと思いつつ

他の田んぼの稲刈りに追われてできない。

彼らの真下には

うちの稲とちらほら熟れてきたみかんの木があり

それらを食い散らかすというか

めぼしい物への好奇心なのか

せっかく丁寧に干した稲も

はげしい勢いで引っこ抜かれ突きまくられている。

これだから天日干しも・・・。

Dsc00902 なぜか田んぼにイモリ。

2015年10月15日 (木)

三昧境

ざんまいとは仏教用語で

一心不乱にその事をすること。

ここ何日かまさに稲刈り三昧。

うちで育てている田んぼの多くが

山のほうにある小さなマチなため

一条刈りバインダーでせっせこ稲刈り。

ぶっ続けで機械と一体化していると

ときどき機械と一緒に宙を歩いているように錯覚する。

疲れたら刈り終えた田んぼに寝っころがって

みかんを頬張る。

何も考えない。藁くずいじりながらぼんやり海を見る。

脳内にも青空が広がる。

幸せというのは単純なのである。

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2015年10月14日 (水)

このごろイノシシたちは

なりふりかまわず出没するようになってきた。

朝鶏の世話をして

民家に囲まれた別の畑の手入れをしに行くと

イノシシがほんの10m先を歩いていた。

たてがみが長い50kgくらいの雄猪。

ばったり出くわしても相手は

ひるんだそぶりもない。

反対に歩いていったりまた向かってきたり

植えてあるネギやオクラの畝を駆け回る。

Img01683 オクラ畝の間で追いかけていくと突進してくる。

いったん草むらに身を隠して

また畑に戻ってくる。など

人間のほうがからかわれているみたいだった。

近未来では

のら水牛と人が共生しているインドのように日本でも

のら猪と人が穏やかに?共に暮らしているかもしれない。

2015年10月13日 (火)

若穫り大豆

今育てている畑。

無肥料で大豆を育てて5年目になるのだが

年を追うごとに出来が良くなる。自画自賛。

おそらく土の中に根粒菌が定着し

保水と水はけが大豆にとって

良好な居心地に成りつつあるのだろう。

実がもぶりつく。毎晩枝豆で頂く。

鞘のなかの豆は肥大しすぎず

なのにぽっこり張りつめている。

自分で言うのもなんだが

芳しい底味といいこの枝豆お買い得でございます。

夏の枝豆(早生大豆)におとらず

肌寒くなりつつある中秋の枝豆

をかみしめる幸せは言葉でつくせない。

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2015年10月12日 (月)

竹取り

かぐや姫に登場する竹取の翁は

取った竹をよろずのことに使うという。

おそらく翁は竹細工職人だったのではないか。

そんな高尚な目的で竹を取ってみたいが

今回は稲のはぜ掛けのため。

淡竹がちょうどいい。

山はどこも竹ばかりなので入手するのは困らない。

でもコンバインで刈れば竹なんぞ取る必要もないわけで

余計な労力にちがいない。

じゃあなんでわざわざはぜ掛けしたいのか。

理由はあれこれおもいつくがつまるところ

遊びなのだ。お百姓仕事はなべて遊びの延長。

遊びといっても趣味という意味ではなく

時間をもてあましているわけでもない。

アソビとは精神的な余裕のこと。たとえば

車のアクセルについて教習所で習う。

アクセル踏むときアソビのない車は危ないですよと。

はぜ掛けするため山で竹を刈るのは

労働の踊り場。

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