« 2013年6月 | メイン | 2013年8月 »

2013年7月

2013年7月31日 (水)

人はパンのみにて生きるにあらず?

できるだけ自然に則した

栽培方法で田畑を育てている

と公言している手前もあり

食養生の本などもよく読むほうである。

でもオレもハナも食養生的な食事というものに

いまいち気が乗らない。

そんな矛盾した人間である。

世の中には玄米菜食でいっこうに不自由しない

人もおり、そうなれたら自由だろうなと

あこがれる。でもやっぱり暑いときには

ビール飲みたい。たまにはこってりしたもの頂きたい。

新鮮なお刺身に舌鼓を打ちたい。などと

怒涛のように、うまそうなものへの渇望がひろがる。

食養生の知恵が自分たちの暮らしに活かされる日が

いつか訪れるだろうか。

Dsc00267

Dsc00270

今居候している女の子が作ってくれたピザ。

とろけるチーズと小麦粉は買ったけど自家製のパン生地

+うちの野菜サルサソーストッピング

<a href="http://yamaguchi-blog.com/wj.php?cd=0243" target="_blank" utn>山口ブログ</a>

2013年7月30日 (火)

目に見えない所得

サラリーマンだとさしずめ

月々いくらの給料が家庭に入り

一日あたりの食費でいくらとか

月の光熱費でいくらとか

家の家賃やローンでいくらとか

飲み会貯金とか旅行貯金とか

給料という所得からコインを引いていく

計算になるのだろうか。

うちはいばって言えばまあ自由業?で

自分の時間の使い方はわりと自由だし

食べるものはたいていの場合身の回りにあり

食費を確実に計上する必要もなく

築100年近く経つ古家の我が家は

おかげさまで家賃もなく

家畜を飼っている都合上おいそれと

遊びにも行けない身分で。

サラリーマンのように確固たる収入もない代わりに

時間を切り売りすることがなく

出ていくお金も少ない。

ようするにうちの生活は

目に見えない所得でやりくりできているらしい。

Dsc00265

今うちに居候中の女の子が

ほぼうち野菜で作ったハワイアンラタトュイユ。

今日ウクレレ生演奏を聴いたので

ハワイ風にパイナップルを添えたらしい。

2013年7月29日 (月)

ししとう

本当の名前は

獅子唐辛子というらしい。

うちでは自家用に少し育てるが

ぽつりぽつりとできて

なかなかまとまった数にならないので

ちょっともの足りない。

はなが言うには

ししとうのそばに本物のとうがらしを植えると

ししとうまで辛くなるって。

ほんとかなとその説はオレには信じられなかったが

実際うちのししとうは

10個中7個くらい辛い。

Dsc00257

今居候している女の子が

このししとうと他にうちのトマト、にんにく、玉ねぎで

サンバルソースを作る。

Dsc00264

2013年7月28日 (日)

廃材

まだ重機がそれほど普及していなかった時代

木造建物の解体は

ひとつひとつ手作業で

ほぞをほぞ穴からきれいに抜いたり

仕口をばらしたりしたのだろう。

そうして得た建築廃材の朽ちた部分を除いて

再び物置小屋などで使用された。

現在はたいていユンボの腕の先に爪を取り付けて

梁や柱をつかんで力で引き抜く。

当然廃材への損傷は大きいが

誰も再使用する当てのない廃材は

そのまま処理場へ直行する.

時代の流れとともにそういう運命に至った

廃材たちになんとか出番を与えようと

鶏小舎や簡単な掘っ立て小屋、物置は

廃材で作る。釘抜きがちょっと大変だし

ユンボの爪痕も残るが

使えない部分は薪にして

使えるところを鉋かけたり補強して使うまで。

木材は廃材といえども

まだ生きているからすごい。

Dsc00254

2013年7月26日 (金)

段々畑考

ひとマチひとマチ

不規則な地形に逆らわず丁寧に

石垣を積んである。

ときには石作りの暗渠も見られる。

きれいに除草すると遺跡のようにも見える

そんな段々畑が周防大島には多い。

この段々を維持するのはなかなか難しい。

昨今は個人がそれぞれの責任で修復せざるをえないため

お金がかかりますます難しい。

何年か放ったらかすと

まず吸出しといって地下に水がくぐるようになり

その水の通り道から土が流出していく。

いったん土が下へ流れ出すと

遠からず土地の陥没を起こす。

陥没しはじめると壁のような石垣が外側にふくらみ

ある日突然崩れる。

緻密に築かれた石垣の段々も

土地そのものが使われなくなると

ただの山の斜面に還る。

昔の人々は重機などなくても

吸出し現象を素早く見つけて

適切に水を逃がしたり

近隣の結いや講をたのんで

明渠や暗渠を敷設したり

段々畑の排水に汗を流したのだろう。

石垣のある風景は日本人の心をなだめる。

人の歴史と技術を身近に感じることができる。

祖先からの遺産である。

2013年7月25日 (木)

ぼろ

襤褸というにふさわしいTシャツ

だが、農作業をするに襤褸ほど

身体になじむ服もない。

引っかき破れや自分の汗で

何度も洗濯をくりかえし

薄くなった布地の肌触りは

他に代えがたい。

風通しもばつぐん。汚れを気にせずともよくて

作業しやすい。

人によっては襤褸になる前に捨てるが

そんなにかんたんに物を捨ててもいいのかな

とちゅうちょしてしまう。

使い捨て時代の栄華はいつまで続くのか

ていうかお説教ではなくて

ほんとにぼろ服の着心地いいんだって。

Dsc00251

2013年7月24日 (水)

えだまめ

10日前はまだぺちゃんこで

ほんとにふくらむのかなと

見守っていたら

こんなに日照り続きにもかかわらず

実付きがよくなった。

枝豆の真の姿は大豆なんだよ

と言われてもにわかに信じられないような

別個の野菜みたいだ。

晩酌に枝豆つまむと

止まらなくなる。

しばらくはうちの食卓を彩る

貴重な夏の定番。

自然の恵みに感謝。

Dsc00214_2

2013年7月23日 (火)

適地適作

いろんな野菜を育てていると

同じ野菜で同じ種で同じ蒔き時で

だいたい同じ栽培方法で

なのに畑が違うと

出来不出来に差が出る。

所変われば品変わる。

あたりまえのことなんだが

なぜこっちではよくて

あっちではまずいのか

わからないこともしばしばある。

その理由を人間がうまく見つけてやって

その野菜の好条件をしつらえることができれば

万々歳なのだが

なにしろにわか百姓なもんで。

人については適材適所っていうよね。

なんか人材派遣みたいであんまりいい表現じゃないし

これって第三者から見た人事でしかない。

そうではなくて

自分が活き活きできる好条件を

自分自身で見つけられればいいのにね。

そういう人の生き方を見習いたい。

おとといワンシーン俳優を自称する笹野高史さん

の講演を聴いた。短所を旨味に変える。

2013年7月22日 (月)

日照り

土用のうなぎと言っても

うなぎは高級魚になりすぎて

うちのようなびんぼー所帯には

につかわしくない。代用品というと失礼だが

さんまのかば焼きっぽい缶詰でお茶を濁す。

雨降らんね。

もう2週間以上ほとんど降らん。

この1週間は畑に水もやってないので

みるみるうちに野菜の葉っぱがかさかさと

うるおいのない感触になった。

きゅうりも申しわけ程度には実るが

色合いがみずみずしくない。

こんな日照りでもさつまいもの葉っぱだけは元気。

Dsc03829_2

2013年7月21日 (日)

ゲリラ的商売

就農当初より

単一作物に専念するような農業は

周防大島の田畑の状況には合わない

そう考えてあれこれと

思いつきのようにこじんまりと

鶏や蜜蜂や豚を飼いはじめる。

4,5反の田んぼを育て

畑にもいろんな野菜を育てる。

ただそれを売るとなった時

必然として立ちあがる問題。

こんなにちまちまとあれこれやっても

市場や流通では相手されないということである。

なので自分たちで

個人的にうちの農産物を購入してくれるお客さんを

見つけるしかない。これはなかなかというか

そうとう大変。加えてうちの農産物は数や量が

限られているのでお客さんに待ってもらったり

せっかく注文して頂いても断らざるをえなかったり

いったん断ると縁が途切れることもあり

こういうときは欲が出て断るのがつらい。

調整するのも手がかかる。

最近はちょっと開き直って

うちでは商品があるときはある、ないときはない

そういう神出鬼没なゲリラ商法でいこう

そう明るく笑って商売している。ハハハ。空笑い。

Dsc03827