« 2013年11月 | メイン | 2014年1月 »

2013年12月

2013年12月31日 (火)

パックス アメリカ

ことわっておくけど

オレはアメリカという国が嫌いなわけじゃない。

アメリカ人が嫌いなわけでもない。

アメリカの抱える根本的な問題は

ひとことで言えば

自分たちの繁栄のためには手段を選ばない

という究極の利己主義にある。

アメリカ人がアメリカという国を守るために

専守防衛に徹するというのなら

誰も非難しない。そうではなくて

アメリカがアメリカの権益や利殖のために

他国へ出張って行き

その国を従属させたり破滅させたり

アメリカ人にとって都合のいいように

利益誘導したりする。アメリカという国の歴史は

そんな積み重ねで成り立っている。

そんなアメリカの形を真似る日本であってほしくない。

なので残虐行為の具体的事実をくりかえし読み

想像力を喚起する。あなたの大切な人が

例えばクラスター爆弾である日突然

ぼろきれのように引き裂かれたら

あなたはどう感じるか。

Dsc04181

2013年12月30日 (月)

クラスター爆弾

ベトナム戦争でアメリカ軍が多用した。

クラスターとは密集した塊という意味。例えば

ボール爆弾は

1機の戦闘機で2m長の親爆弾を4個投下できる。

1個の親爆弾に500個の

野球ボールくらいの子爆弾が詰め込まれている。

またその1個の子爆弾の中に300個の

パチンコ玉より小さな玉が詰め込まれている。

野球ボール大の子爆弾が

空中低く爆発すると

無数の小パチンコ玉が飛び散って人や動物を殺傷する。

野球ボール大の子爆弾のうち

地上で破裂しないものは

不発弾として土に埋まる。

故意に不発弾として地上にばらまかれたボールは

地雷と同じ機能を果たすように仕組まれており

農民や子どもが

ある日突然犠牲になる。

ちなみにアメリカがベトナム戦争で使用した

総弾薬量は1127万t。

アメリカが第二次大戦で使用した量の2倍弱という。

Dsc00461

2013年12月29日 (日)

戦場のアメリカ

ここの部分だけ抜粋するのは

もしかしたら著者の意に反するかもしれない。

でも実際に見た人間にしか書けない内容なので

この文章の行間にこめられた

こまかな知覚を想像で補うしかオレにはできない。

「アメリカ軍の作戦はもっと徹底していました。

一例を挙げると、1966年5月、第一騎兵師団の

デビィ・クロケット作戦です。

ヘリコプターで運ばれた兵士が村を包囲し、

二機のジェット戦闘機が村を爆撃し、

続いてナパーム弾で村を焼き、

機関銃掃射をしました。

次に1分間に6000発を発射できる機関銃と

ロケットを装備した二機の武装ヘリコプターの攻撃が終わると、

兵士たちは村へ突入しました。この作戦を見ていて、

これでは農民の反感を強めるだけで、

アメリカのベトナム政策も失敗するだろうと思いました。」

『私が見た戦争』  石川文洋 著  新日本出版社

2013年12月28日 (土)

正義とは

「世界で言語に絶する残虐行為に

手を染めている国があるとすれば

それはアメリカ合州国だ。

アメリカは世界平和への脅威だ。」

先日、95歳で亡くなったネルソン・マンデラの言葉。

実際の話

アメリカという国が無ければ

世界はこれほど混乱してない。

この国は自国の問題は常に棚上げして

他国の内政干渉に

懲りることなく首を突っこむ。

ベトナムやイラクに限らず

世界中のいたるところでまさしく

おーるおーばーざわーるど的に

独りよがりな正義をふりかざす。

アメリカ人はアメリカにとってだけ都合のいい正義が

大好きである。さんざん他国を威し従わせ貶めておいて

その後アメリカ産の多国籍企業を送りこんで

うまい汁を吸いあげるよう仕向ける。

ハイエナはただ食い散らして去っていく。

つまりそれがアメリカの正義という。

Dsc04365

2013年12月27日 (金)

古色蒼然

暮らしの中にさりげなく漂っている

こきたなさが好きである。

場末の居酒屋という言葉から想起される

どぎついネオンにだみ声や喧噪。

ひとむかし前の映画館の

スプリングがいかれた椅子の座り心地。

地元に親しまれる銭湯の

剥げ落ちたタイルの痕。

消えかかった電灯に浮かぶ民宿という文字や

建てつけのわるい戸を開けて入る駄菓子屋。

営業してるのかしてないのかわからないような

あやしげな古道具屋古本屋。

何十年も使われた形跡のない納屋に

ぽつんと立てかけてある鍬。

そんなような風景が目にとまると

あぁこの世界にはまだ愛があるなと感じる。

Dsc00460 かつてのみかん箱を薪入れに。

 

2013年12月26日 (木)

風情

日本人が使うこの言葉の意味深さ

の源はどこにあるのだろうか。

風という現象は

ものの形をおぼろげにしていく。

それを心の動きにみたてた。

わびさびという言葉も然り。

侘しさや寂しさの中にそんなにゆたかな情緒など

在るのか。外人ならば明瞭に色を

決めてしまいたいだろう。でも古来より

日本民族は色と色とのあいだにある

うつろいやすさを

そしてどんな力も形も命も時とともにかならず

風化していくという世界観を

生きてきた。ほんのここ半世紀ほどで

コンビニやファーストフードや

ハウスメーカーばやりの家々や

プラスチックやパソコンやキレイな物に囲まれる

豊かな経済至上主義日本国が出現した。

その延長線上にはたして風情は生き残れるか?

Dsc00442薄暮に見おろす久賀の街全景

 

2013年12月25日 (水)

水深15cm

うちの風呂の話である。

本格的に風呂の湯をためるのは

霜月から卯月にかけて。

浴槽も小さくて

それも循環式温水でもなく

ただお湯をためて冷めないうちに

さーっと入る式の風呂。

貧乏性分をいかんなく発揮して

湯船にためる湯の水深は20cmを越すほど入れない。

時々ストーブにかけたヤカンの熱湯をたす。

別に20cmにこだわっているわけではなくて

足さえ温まれば血流にのって全身もあったまる。

そう信じている。ハナは異論あるらしい。

底冷えする晩うち湯に身をかがめると

おかしな格好になる。うちではこれを寝湯と呼ぶ。

ちょー寒い日は我慢できずに温泉に出かける。

薪風呂でないのが悔しい。いずれ薪風呂作りたい。

Dsc00451

2013年12月24日 (火)

霊泉

日本全国

弘法大師が歩いていないところは

ないんじゃないかというくらい

いたるところに名前が出没する。

本名は空海。

柳井温泉にまつわるエピソードも

大師さまのおでまし。

どこまでもどこまでも同行二人。

心強いことこのうえない。

大師の御霊といっしょに

お風呂に入っているかもしれない。

うちの屋号と相俟って

益々ありがたい湯である。

Dsc00449 柳井温泉の由来。脱衣所に掛かっている。

2013年12月23日 (月)

柳井温泉

銭湯みたいだけど

れっきとした温泉。

人口3万人の柳井市にあっては

がんばっている大衆浴場。

サラリーマン時代には毎日のように

入らせて頂いた湯であるが

周防大島を住み処としてからは

ちょっと足が遠のいている。でも年に

何度かはお世話になっております。

以前この近くに姫田湯という銭湯もあったが

こちらはなくなってしまった。寂しいかぎりである。

昨今銭湯をめぐる状況はますます厳しく

街から風情や情緒がかすんでいくのも

むりはない。

Dsc00448 柳井温泉 入浴料 大人(中学生以上) 390円

             中人(6才以上12才未満)小学生150円 

            小人(4才以上)未就学児  80円

 

2013年12月22日 (日)

冬至

Dsc00445

ここ一週間か10日くらい

風は強いし雨霙雪も降ったり

晴れ間の少ない日が続いている。

外でする仕事は

体が温まるまで動きがぎこちない。

旧暦十一月二十日「乃東生ず」とある。

乃東(だいとう)とは

夏枯草(かこそう)=しそ科うつぼ草のことらしい。

冬至とは一番死に近づく日だと

昔の人は考えた。で厄除けもかねて体を温める。

Dsc00447