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2015年1月

2015年1月21日 (水)

混迷無知

昨年11月に徳山で

『ファルージャ』というドキュメンタリー映画

を観た。監督は伊藤めぐみさん。

その映画の内容もさることながら

同日に高遠菜穂子さんによる講演も身に染みた。

2004年4月イラクで3名の日本人が拘束され

自己責任バッシングが吹き荒れた事件

当事者の一人。

現在高遠さんはイラク及びその周辺で

フリーランスのソーシャルワーカーとして働いておられる。

研ぎ澄まされた感受性と明確な意志が

言葉や表情に現われている。彼女の話の骨は

日本で普通に暮らしている日本人は

イラク及び中東について何も情報を知らないに等しい

ということ。知らないというより知らされてない。

表層的なマスコミ報道を鵜呑みにしない

したたかな一市民でありたい。

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2015年1月20日 (火)

山くじら

という名前で地域おこしに

イノシシが一役買っている話もある。

ここのところ周防大島では

ちょっとしたイノシシブーム?である。

なにしろ自分みたいなにわか猟師でも獲れる。

それほど生息しているのだろう。

推定1万頭くらいいるんじゃないかと言われている。

このたび獲ったのは60kgほどの雄猪。

仕留めるのに手こずった。

眉間をどついてもなかなか失神に至らず

頸動脈を刺し切っても

起きあがって向かってくる。勇敢なやつだった。

こういうことを平然と書くのは残酷か。

でも見方を変えれば

肉という食べものがどういう経路で食卓へのぼるかを

想像しない人間のほうがずっと残酷ではないか

という気がする。もちろん生きものへの殺生を

もろ手を挙げて賞賛はしない。菜食主義者には

またべつの見方もあるだろう。

Dsc01161 この雄猪はなぜか雄臭くない。

2015年1月19日 (月)

延命水

周防大島久賀の少し山のほうの集落に

延命の滝という名所がある。

毎年そこに20リットル水を頂きに参る。

この水でどぶろくを仕込む。

御神酒といってもいい。

今年は遅い初詣もかねて

延命の滝にひそむ神々にも挨拶した。

霜が強く降りて冷える明け方

滝に至る参道を歩く。

木々や土の湿気を浴びて

手を合わせる。

Dsc01158 人のあずかり知らぬ間にもたえまなく恵む水に感謝。

2015年1月18日 (日)

漂流物

10年前周防大島に住みはじめたばかりの頃

長浦の砂浜をしょっちゅう歩いて

流木や有益なゴミを拾った。

私たちのホイト暮らしの始まり。

流木は鶏舎の止まり木に使ったり

鶏舎の部材にも利用した。

バケツ拾って今もそれで卵を集めている。

ボールいくつも拾ってmaro(犬)の遊び道具となり

直径80cm縦50cmほどの丸太は重かったけど持ち帰り

薪割りの土台に変わった。

蔓でできた安物?の籠は長年波に洗われたせいか

妙な渋さを醸しだしており

フリマで商品陳列に活躍する。

そんなこと思い出しながら

大上 隆さんの漂流物についてのお話をお聴きした。

http://www.towatown.jp/koryu-center/topics/2015/20150108-1.html

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2015年1月17日 (土)

春の色

春というと梅や桜の花の色を

想い浮かべそうだが

畑に咲く最初の色は菜の花。

とう立ちがはやく

次々と脇芽を伸ばす。

底冷えする朝でもそのまわりだけは

ほんのりと暖かい空気が流れているような

そんな一息つかせる色である。

色彩は単一でとらえられない。

黄色と断定できない。黄色の奥に

光のプリズムと濃淡と時による移ろいが隠れている。

なぜ花には色がついているのだろうか。

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今晩の前菜。

 

2015年1月16日 (金)

世界一周

昨晩キムラ夫妻と飲んだ。

以前うちにWWOOFerで来たコーヘイ君からの紹介で

彼らはなぜか周防大島に一晩逗留した。

キムラ夫妻は

ここ1年半もの間ひたすら自転車で

世界を旅して回って先日ようやく日本に帰国と

相成ったらしい。

自転車というところがたくましすぎる。

長いこと旅してきたので

今は早く働きたい気分だという。

彼らの未来を祝して乾杯。

http://www.ninin-yonrin.com

Dsc02782 世界の道がこんなきれいな道路ばかりだったらスリルない。

2015年1月15日 (木)

精米

麹作りのために小米を使うと言ったが

そのくず米を精米する時に

ちょっとしたこつがある。

といってもたいしたこつではない。

まず循環式精米機だと

小米がきれいな白米になりにくい。

いわゆるくず米の中には

米の欠片やもみ殻の破片

籾を被ったままの米や青米

雑草の種や繊維など混じっており

循環式だとその夾雑物が糠箱のほうに落ちにくい。

何段階かの圧力で回してみたが

なかなか白米だけにならない。

ある時実家にほったらかしにされていた

小型の家庭用精米器を母が壊れてるから要らないと言うので

直して小米の精米に使ってみたら

お見事。じつにきれいに白米になるではないか。

難点が5合しか入らないことだが

いちいち手でごみを取ることに比べればはるかに楽。

イヌビエやクサネムの種は白米の中から手で除く。

Dsc01113 日本の技術はすばらしい。

2015年1月14日 (水)

何者でもない

かつてオレは何者かになろうとしていた。

でも最近になってようやく気付いた。

何者かになるのではなくて

何者でもない自分になろうと

そう決めたとき肩の力が抜けた。

何者かになる必要はなかった。

自分が何者か探し続ける必要もなかった。

自分は自分で

既に自分以外になりようがない。

仕事や生計も同じスタンスで考えてみた。

鶏を飼って豚を飼って蜜蜂飼って

田畑を育てて商品を売って

山でイノシシ獲って

海を眺め山を歩き時に人と出会う。

これからも何者でもない自分を発掘していきたい。

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2015年1月13日 (火)

洗米

最近は無洗米などという商品も出回り

都会では米の研ぎ方も知らない日本人が増えつつある

のではないかと想像する。

合理的なことがすべていいかどうか。

日々頂く米を手で触れてその実質を感じる

というあたりまえの所作をすっとばして生きる

のもぜんぜんけっこうである。

ただ妙にケツがこそばゆい。

自分が生きている根元を無視してる気がする。

意識して無視するのならまだましで

無意識に無視し続けて

そういう所作がなかったことになってしまう

日本がはたして美しいのだろうか。

米を研ぐという言葉を守りたい。

Dsc01112 今回は田布施の大下さん方の無農薬小米で麹作り。

2015年1月12日 (月)

畑の肉

そう呼ばれると妙に納得する大豆。

次の味噌の仕込みのために選別する。

ハードな作業をした後の休憩も兼ねて

大豆を選り

冬の夜長にストーブに当たりつつ

大豆を選り

ビニールハウスの温室の中でくつろぎながら

大豆を選り

暇さえあれば大豆をいじっている。

なんのへんてつもない大豆選りだが

いったん始めるとつい夢中になる。

乾いた豆のすべるような感触が心地よい。

この大豆が種として生きているというのが

不思議であり愛おしくもある。

選った後のくず大豆は炊いて豚の餌。

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