2013年8月 5日 (月)

モノ

物があふれており

それらの物の充足感が

豊かさの指標である。

そうだね。車やテレビやスマホや・・

あらゆる人工物が日本にはあふれている。

ちょっと頑張って働いてお金貯めれば

その便利な物たちを享受できるもんね。

物=豊かさ。

目に見える価値としてこんなに

わかりやすい物差しはない。

標準的な家庭にはたいがい

テレビ冷蔵庫洗濯機自家用車パソコンケータイ・・

街へ出ればコンビニスーパーレストラン・・

見つけるのに困らないね。

なんでもそろっててでももっともっと新しい機種やサービスが

欲しくなるね。わかるわかる。

こんなに便利な物たちに囲まれていながら

一体日本人は何が不満なんだいって訊きたいよね。

一体何が不満なのか? 結局

不満の種は自分のこころから発生している

んだよね。こころって

物で充足できない。車にガソリン入れて走るように

自分のこころに便利な物を注げば

すぐに不満解消になればいいのにね。

いくら便利な物を注ぎこんでも果てしないね。でも

新し物好きな中毒者をもっともっと増やせば

景気は良くなるかもね。

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田んぼの中に亀がいらっしゃった。めでたい。何が?

竜宮の使いか。

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2013年8月 4日 (日)

灯台守

むかしこういう職業もあった

らしい。2006年にすべての灯台が

自動化され人が常駐することはなくなった。

♫おいら岬のー灯台守はー

木下恵介監督の作品

『喜びも悲しみも幾歳月』1957年公開

過去に2回も観た。

戦後初のカラー映像なのかな。

なんか惹かれる。日本人の

初々しさというか朴訥さというか

質素な生き様というか。

灯台守という職業は

持ち場を離れられない窮屈な仕事だった

かもしれない。わりと今のうちの

生活に似てるんだよね。

2013年8月 3日 (土)

オスプレイ

戦争好きなアメリカ人は

彼らの愛する軍用機に

とても格好いい名前を付ける。

ミサゴという鷹の名前らしい。

ウィキペディアで調べてみると

この米軍機試作段階では事故が多かったらしい。

空飛ぶ恥と揶揄されながら

実用化に至ってからの事故率は低いらしい。

全長約18m全幅約26m

まー巨大だな。さすがアメリカ人。ダイナミック。

オレの家の何倍かでかい。

いや、あの、別に♂PLAYを称えるわけではなくて

昨日岩国でこの巨大米軍機を歓迎する集会が

石本崇岩国市議会議員が音頭をとって開かれた

というので、ちょっと気になって調べてみた。

米軍が日本を守ってくれるという

幻想にどっぷりと漬かった人たち。

アメリカはアメリカの国家体制や

その体制に利する企業のために軍を動かすのであって

(建て前ではアメリカ国民を守るためという説もあるが・・)

日本人のことなんぞ眼中に無い。

逆の立場になれば想像できるですよ。

占領した国が占領された国を利用するとき

占領された国の民のことなんか考えるわけない。

今まで人類が征服し合った歴史が

それを証明している。米軍にぶら下がりたい

気持ちはわからなくはないけど。

『オスプレイ駐機配備に賛成する有志の会』の会員は

相当に善良な人々なんだなあ。

2013年8月 2日 (金)

三つ子の魂

今年3月に産まれた

ヒナたちは順調に育ち

そろそろ初卵を産みはじめる頃になった。

うちでは数羽くらいは自家孵卵させるが

ほとんどの雌鶏は

初生雛(ショセイビナと読む)を孵卵場から購入する。

ヒナの到着後約1週間くらい餌はくず玄米と水だけ。

4日目くらいから緑餌(リョクジと読む)を与える。

おもに笹の葉を刻んで与える。

玄米も緑餌もヒナの筋胃を鍛えるため。

筋胃とはいわゆる砂肝のこと。

小さいうちから粗放に育て粗食に慣らす。

うちの鶏の育て方である。

小さいころから我がままに贅沢に

育てられた子どもというのが大人になって

どうなるか。そんなふうに育てられたかったかな?

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2013年8月 1日 (木)

汁かけご飯

夏になると

朝食にたびたび登場する。

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ハナはあたかも郷土料理のように

冷や汁と呼ぶが

オレから言わせると

汁かけ飯、猫飯、百姓飯・・そういった類である。

冷やした味噌汁に

胡瓜茄子茗荷紫蘇豆腐胡麻など入れ

ときに炙った魚をほぐした身や

砕いた心太なども足して混ぜ合わせ

いくつか氷を浮かべて

ずずーっと頂く。

付け合せに夏野菜のぬか漬け、からし漬け

あれば複層的な汁かけ飯を

堪能できる。あどけない

朝めしの話であった。

2013年7月31日 (水)

人はパンのみにて生きるにあらず?

できるだけ自然に則した

栽培方法で田畑を育てている

と公言している手前もあり

食養生の本などもよく読むほうである。

でもオレもハナも食養生的な食事というものに

いまいち気が乗らない。

そんな矛盾した人間である。

世の中には玄米菜食でいっこうに不自由しない

人もおり、そうなれたら自由だろうなと

あこがれる。でもやっぱり暑いときには

ビール飲みたい。たまにはこってりしたもの頂きたい。

新鮮なお刺身に舌鼓を打ちたい。などと

怒涛のように、うまそうなものへの渇望がひろがる。

食養生の知恵が自分たちの暮らしに活かされる日が

いつか訪れるだろうか。

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今居候している女の子が作ってくれたピザ。

とろけるチーズと小麦粉は買ったけど自家製のパン生地

+うちの野菜サルサソーストッピング

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2013年7月30日 (火)

目に見えない所得

サラリーマンだとさしずめ

月々いくらの給料が家庭に入り

一日あたりの食費でいくらとか

月の光熱費でいくらとか

家の家賃やローンでいくらとか

飲み会貯金とか旅行貯金とか

給料という所得からコインを引いていく

計算になるのだろうか。

うちはいばって言えばまあ自由業?で

自分の時間の使い方はわりと自由だし

食べるものはたいていの場合身の回りにあり

食費を確実に計上する必要もなく

築100年近く経つ古家の我が家は

おかげさまで家賃もなく

家畜を飼っている都合上おいそれと

遊びにも行けない身分で。

サラリーマンのように確固たる収入もない代わりに

時間を切り売りすることがなく

出ていくお金も少ない。

ようするにうちの生活は

目に見えない所得でやりくりできているらしい。

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今うちに居候中の女の子が

ほぼうち野菜で作ったハワイアンラタトュイユ。

今日ウクレレ生演奏を聴いたので

ハワイ風にパイナップルを添えたらしい。

2013年7月29日 (月)

ししとう

本当の名前は

獅子唐辛子というらしい。

うちでは自家用に少し育てるが

ぽつりぽつりとできて

なかなかまとまった数にならないので

ちょっともの足りない。

はなが言うには

ししとうのそばに本物のとうがらしを植えると

ししとうまで辛くなるって。

ほんとかなとその説はオレには信じられなかったが

実際うちのししとうは

10個中7個くらい辛い。

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今居候している女の子が

このししとうと他にうちのトマト、にんにく、玉ねぎで

サンバルソースを作る。

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2013年7月28日 (日)

廃材

まだ重機がそれほど普及していなかった時代

木造建物の解体は

ひとつひとつ手作業で

ほぞをほぞ穴からきれいに抜いたり

仕口をばらしたりしたのだろう。

そうして得た建築廃材の朽ちた部分を除いて

再び物置小屋などで使用された。

現在はたいていユンボの腕の先に爪を取り付けて

梁や柱をつかんで力で引き抜く。

当然廃材への損傷は大きいが

誰も再使用する当てのない廃材は

そのまま処理場へ直行する.

時代の流れとともにそういう運命に至った

廃材たちになんとか出番を与えようと

鶏小舎や簡単な掘っ立て小屋、物置は

廃材で作る。釘抜きがちょっと大変だし

ユンボの爪痕も残るが

使えない部分は薪にして

使えるところを鉋かけたり補強して使うまで。

木材は廃材といえども

まだ生きているからすごい。

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2013年7月26日 (金)

段々畑考

ひとマチひとマチ

不規則な地形に逆らわず丁寧に

石垣を積んである。

ときには石作りの暗渠も見られる。

きれいに除草すると遺跡のようにも見える

そんな段々畑が周防大島には多い。

この段々を維持するのはなかなか難しい。

昨今は個人がそれぞれの責任で修復せざるをえないため

お金がかかりますます難しい。

何年か放ったらかすと

まず吸出しといって地下に水がくぐるようになり

その水の通り道から土が流出していく。

いったん土が下へ流れ出すと

遠からず土地の陥没を起こす。

陥没しはじめると壁のような石垣が外側にふくらみ

ある日突然崩れる。

緻密に築かれた石垣の段々も

土地そのものが使われなくなると

ただの山の斜面に還る。

昔の人々は重機などなくても

吸出し現象を素早く見つけて

適切に水を逃がしたり

近隣の結いや講をたのんで

明渠や暗渠を敷設したり

段々畑の排水に汗を流したのだろう。

石垣のある風景は日本人の心をなだめる。

人の歴史と技術を身近に感じることができる。

祖先からの遺産である。