いろんな野菜を育てていると
同じ野菜で同じ種で同じ蒔き時で
だいたい同じ栽培方法で
なのに畑が違うと
出来不出来に差が出る。
所変われば品変わる。
あたりまえのことなんだが
なぜこっちではよくて
あっちではまずいのか
わからないこともしばしばある。
その理由を人間がうまく見つけてやって
その野菜の好条件をしつらえることができれば
万々歳なのだが
なにしろにわか百姓なもんで。
人については適材適所っていうよね。
なんか人材派遣みたいであんまりいい表現じゃないし
これって第三者から見た人事でしかない。
そうではなくて
自分が活き活きできる好条件を
自分自身で見つけられればいいのにね。
そういう人の生き方を見習いたい。
おとといワンシーン俳優を自称する笹野高史さん
の講演を聴いた。短所を旨味に変える。
就農当初より
単一作物に専念するような農業は
周防大島の田畑の状況には合わない
そう考えてあれこれと
思いつきのようにこじんまりと
鶏や蜜蜂や豚を飼いはじめる。
4,5反の田んぼを育て
畑にもいろんな野菜を育てる。
ただそれを売るとなった時
必然として立ちあがる問題。
こんなにちまちまとあれこれやっても
市場や流通では相手されないということである。
なので自分たちで
個人的にうちの農産物を購入してくれるお客さんを
見つけるしかない。これはなかなかというか
そうとう大変。加えてうちの農産物は数や量が
限られているのでお客さんに待ってもらったり
せっかく注文して頂いても断らざるをえなかったり
いったん断ると縁が途切れることもあり
こういうときは欲が出て断るのがつらい。
調整するのも手がかかる。
最近はちょっと開き直って
うちでは商品があるときはある、ないときはない
そういう神出鬼没なゲリラ商法でいこう
そう明るく笑って商売している。ハハハ。空笑い。
日本の中身はからっぽである。
政権をにぎる者はおごり
情報を発信する側は政権と手を組み
本質はモザイクをかけられたように
焦点をはぐらかされる。
ことごとさように
この半世紀余り
言ったもん勝ち、やったもん勝ちの
貧相な世界観が日本という国に渦巻く。
あふれる情報を安易に受け入れず
目や耳をもっとハングリーにしてほしい。
イランの映画監督アミール・ナデリさんの
日本人へのメッセージ。
戦後日本の教育は
子どもに経験をさせないように仕向けてきたのだろう。
想像力を磨くにはなにごとも経験が必要。
失敗したら恥ずかしいとか
相手からの反応を気にして一歩が踏み出せないとか
こんな自分が自己主張しちゃいけないんじゃないかとか
とかく先回りして自己規制する。
そんな人間を大量に作ってきた戦後教育。
その恩恵を受けるのは
羊の群れのような国民や労働者を
手前勝手のいいように操りたい
自民党や官僚や独占資本としての電力会社や
製造者責任を一切問われず
原発や軍事製品を作りつづけたい財閥系企業集団
けっきょくそういうことなんだなあ。
単純にそういうこと。
権力者の思想は戦前と変わってなくて
変わったのは、気骨ある人間が激減したという
うちのおじいが生前
周梨槃特という釈迦の弟子の話をしていた。
おじいは浄土真宗のお坊さんだったので
晩酌をいっしょにすると決まって
仏さまにまつわる話をするのが常であった。
しゅりはんどくという人はとかく忘れっぽい人で
他の仕事はできないがとにかく
日々掃除ばかりの修業生活だったらしい。
でもひたすら清掃修養に打ち込むことによって
ある日悟りを開く。
人間どんなささいなことでもいいから
ばかになってとことん続行してみんさい。
いつかその道が開ける瞬間が訪れるじゃろ。と
お釈迦様の尊い教えを
はんどくさんはおもいきり真に受けて実行したのだろう。
そういう純真さがほしい。オレはいつも世の中を
斜めから見てしまうので。
一体みょうがとの関連性は・・。
最近図書館で見つけた漫画。
『大阪ハムレット』 森下裕美・著
がおもろい。以前この作品から
リメイクされた映画は観たことあってんけど
原作のほうがはるかに深いわ。
セリフのひとつひとつが
なにげない集積のようでありながら含蓄ある。
それと登場人物の表情が豊か。
いい味でてる。森下さんは
人間観察の達人だな。
自分の観察力をそのまま作品に投影できる
漫画家ならではの才というか
感心する。人間観察漫画といえば個人的に
真っ先に思い浮かべるのが
ロバート・クラムのエログロコミック。
彼は人間の外見からあぶりだされる醜さみたいなものを
これでもかというほど描くことによって露出させる。
これはこれで憎めないんだよな。
ま、ともかく森下さん、応援してます。
実は、とこれも別にあらたまって
お伝えすることでもないが
ハタチすぎてお金払って
散髪してもらった記憶がない。
たぶん2、3回は散髪屋に行っただろうか。
でもたいがいオレは自分で自分の頭を刈るカルダンである。
刈男。バーバーブラックジャック。
ハタチ頃電気バリカンを買って今もそれを
愛用している。便利。お手軽。金かからんし。
昨日もカルダンした。耳の回り刈りすぎた。
ちょっとはげた。気にしない。世の中
へんな髪形の人はいっぱいおり
オレもそのひとりっていうだけ。
1週間もすればぜんぜん目立たなくなる。そんな感じ。
自分で刈るときはノリがだいじ。
左右不対称アンシンメトリーな美的感覚を
フルに発揮して好きに刈りあげる。
夏はとかく汗をかくので髪の毛の総量を減らす気持ちで
ばさっばさっと。一風呂浴びて一服。
あ、いや煙草オレ吸わないので気分的一服。
ふー、今日もわりかたええ一日じゃった。そんな感じ。
TPPというと、
なんだかわけわからん。
べつにどっちでもいいんじゃない。
じぶんにはかんけいない。
おたがいの国がうまく商売できるんじゃない。
なに反対してんの・・。
なんていう声が巷から聞こえてきそうだ。
私たち一般庶民としては、
あえて穿った見方をすべきである。
日本の政党政治的な駆け引きの材料としての
多国間経済協定ではなく
アメリカの陰謀としての不平等協定として
日本人はまっすぐ見るべきである。
この協定は農業のことばかり
メディアでは取り上げられるがそれだけじゃない。
日本の国民すべてに影響を及ぼすよ。
多国籍企業の利益を代弁するアメリカを
最恵国待遇とした不平等条約と言っていい。
TPPの中でもっともやばいのは
ISD条項。
考えてみて。もし、私たちの生活に不可欠な
水や食品や薬をアメリカに支配されたらどうするの?
はっきり言って日本以外のTPP参加国からは
日本はアメリカのカモとみなされている。
ようはばかにされてんだよね。憐みの目を向けられてる。
言ってみれば、自民党はアメリカにとって
ネギをしょったカモ。飛んで火に入る夏の虫。サテライトアメリカ。
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