2013年5月22日 (水)

気魄の人

若松孝二という映画監督がいた。

昨年76歳で亡くなったが、

反権力を公然と掲げる気骨ある映画人生

をおくった方である。

初めてこの人の作品を観たのは

『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』

肺腑を突き刺す迫力があった。

生きるか死ぬかという瀬戸際を

殺すか殺されるかという修羅場を

かいくぐってきた人間だから映せる

業を感じた。

実際、若松さんは若い頃、何年かやくざな世界に

足をつっこみ、牢屋にも入ったらしい。

『キャタピラー』の上映がテアトル徳山であり

監督が舞台挨拶に立たれた。

武骨なくぐもった声。インタビューの内容は忘れてしまったが、

オレはこの人とどう戦えるか今も考え続けている。

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2013年5月21日 (火)

二日酔い

花垣という酒蔵で杜氏見習いをしている

友人が訪れてくれて晩遅くまで宴。

彼が持参してくれる酒が

うまいんだな、これが。

うちに来るたびに毎回

ことなる風味の酒を飲ませてくれる。ありがたい。

こと調味料と酒はできるだけ

素材と原産地の明確な品を選ぶことにしている。

なので余計にうれしい。

昼間の疲れを中和してくれる酔いにまかせて

杜氏弟子の作品を飲みすぎてしまう。

今日はいちにち頭がふわふわ漂っている。

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2013年5月20日 (月)

他人の痛み

古代パーリ語の経典に

「いずれ10歳人間の謳歌する時代がくる」

という予言めいた言葉があるらしい。

10歳人間とはなんだろう。

幼い子どもは私という一人称で世界が完結しているので

そこにあなたや彼彼女は入ってこない。

少しずつ少しずつその子は外界をまなぶ。

いわゆる思春期に他者という概念をつよく

意識しはじめ、同時に自らをとりまく世界や性の

扉を開ける。

つまり10歳人間とは

一人称だけで完結してしまったまま大人になった人

をさすのではないか。

どんなに賢くても優れた身体性や芸術の素養があっても

他者への共感性を欠いた大人は子どもである。

他者への共感性を欠いた大人は

他者の痛みを自分の身に引き受ける想像力

を欠いている。

そういう大人が政治家になり教師になり医師になり

他者に影響力を及ぼす地位に座るとき

やはり、現在こそが「10歳人間の謳歌する時代」と

言わざるをえない。

2013年5月19日 (日)

心の免疫

趣味はなんですか?

と訊かれ、読書とか映画鑑賞とか観劇とか言う

人もいるだろうが、オレはそう答えない。

だって自分の人生のなかの貴重な時間を

他人が創作した疑似現実に浸る

ために費やすのだ。

もっと言えば、自分自身の生きざまを

誰かの作品にぶつけている行為が

読書であり、映画鑑賞であり、観劇であり・・・

そういうことなのだ。

そんなの趣味とは言わない。

ではなぜ本や映画などに没頭するのだろうか?

芸術というとなにか非常に高尚な言葉に聞こえるが

世俗的な創作もひっくるめてすべてを

芸術におしこめてしまえば

芸術を味わうことによって心の免疫を

豊かに保つことができる。

ちなみにわたしの趣味は—お山で昼寝。

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2013年5月18日 (土)

多くの場合、攻撃してくる生き物は怖い。

マムシ、スズメバチしかり確かに怖い。

でも農作業していると時に

毒をもった虫に刺されたりかまれたりする

のは必然である。ここ1年間で

蜜蜂には数えきれないほど刺され

ムカデにも2回かみつかれ

スズメバチにも1回刺され腕が棍棒のように腫れ

田んぼの代かきでなぜかしばしばアリに噛まれる。

アリの毒もなかなか侮れない。人によってはひどく腫れる。

もちろん蚊やブヨにはしょっちゅう刺される。

日常的になんらかの虫毒が身体の中を

めぐっている。

毒や針に対してアナフィラキシーが顕著な方には

申しわけないが、

自然の毒を適度に体にめぐらせるのは

心身改善であると本能的に感じる。

はなに言わせると

毒を浴びて寝こむくせに何をほざいているの?

ということになるらしいが

毒にまつわる論考はもっと深めていきたい。

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2013年5月16日 (木)

おくら

ねばねばした食べものが大好きなもので

これは夏の定番野菜のひとつ。

3年前に野口種苗で買った

楊貴妃というあでやかな名前の品種。

おくらの自家採種は簡単。

なんとなく形質のいい実を選び

さやがからからになるまで放っとく。

よっぽど遅すぎなければ種がはじけることはない。

枯れたさやを次の蒔き時期まで天井に吊るしておく。

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白おくららしいが

なんだかだんだん緑色が強くなってくるような。

うちではまるごとさっと湯がいて

味噌マヨつけたり

天ぷらにして頂くことが多い。

2013年5月15日 (水)

感謝

うちはほぼ専業で百姓してる。

それができるのは

いろんな方たちから気遣われているおかげ。

鶏や豚の餌にしろ

野菜くずを頂いたり、耳寄りな情報を伝えてもらったり。

畑や田んぼにするための土地を気前よく

貸してくれたり、畑にするならとわざわざ草刈りまで

手伝ってくれる地主さんも。

要らない機械があれば連絡してくれたり。

もういたれりつくせりで

ご近所の方々をはじめとして

お知り合いになった方々からも好意にあれこれと

お世話になってばかり。

だからこそ

専業百姓ができる。幸せ。

人との関係があってこそのお百姓暮らし

驕らず謙虚に営んでいきたい。

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2013年5月14日 (火)

まろ

maro

とは、エスペラント語で「海」を意味する。

うちの番犬の名前。

今日、さくら動物病院へ受診。

毎年今時期フィラリアの予防薬を

処方してもらいに連れていく。

三上先生は丁寧にまろの容体を訊いてくれる。

今年春先変な咳をしていたとお伝えすると

咳という症状は心臓と関係ありがちらしく

心臓のエコーも見せて頂いた。どうやら

まろの心臓は少し雑音があるらしい。

今のところ心肥大とかはないけど

今後だんだん心臓の負担が大きく

なってくるかもしれない。悲しいお知らせ。

雑種は病気になりにくいと信じていたが

そういうわけでもないらしい。

のびのびと天寿を全うしてほしい。

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2013年5月13日 (月)

空豆

こんな名前がどうしてついたのかな。

遅ればせながらようやく収穫。

毎年空豆を自家採種しようとしばらく

畑に残しておく。

と、タヌキにぜーんぶ喰われてしまう。

それもひとつ残さず

やつらはやってくれる。空っぽの殻だけが

ふしぎなほどきれいに株下に落ちている。

今年も残してみたい。

大島にはキジが多い。

彼らも豆類をかじる。がぶりっと

さやの半分から下が無い。切り口も鮮やか。

突っつくというよりやっぱかじりとるのだろう。

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2013年5月12日 (日)

純愛

もういつのことだか忘れたが、

15年くらい前?

『八月のクリスマス』という韓国の映画を観た。

主人公のシム・ウナがかわいい。

相手役の男性は、『シュリ』で主役を演じた

ハン・ソッキュだったな。

物語の設定はよくありがちな、余命いくばくの

若い女とその彼女に焦がれる若い男の

せつない思い出話のようなメロドラマ

と言ってもいいかもしれない。

でもこれを観たオレは正直参った。

むー韓国映画畏るべし。

こんな陳腐で使い古されたような筋書きなのに

この作品に没入してしまった。

特にシム・ウナという女優の可憐さが忘れえず

彼女は今頃どうしているだろうと気になる。

なんでも噂によれば不倫をしたせいで

姦通罪をおそれて外国へ渡ったと聞く。

本当かどうかは知らないよ。

外国で女優業してるかな?

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