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2013年3月

2013年3月21日 (木)

タラの芽

昨日夕方、うちのお山で採った。

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これは、あまり棘のないタラの芽。

もう葉が展開しすぎかも。はながおひたしにする。

今晩は、山菜のてんぷら。

はなは米粉ばかりで天ぷら衣を作るので、

なんか唐揚げっぽい。歯茎に刺さるてんぷら。

楤芽、蕗薹、葱、椎茸、薩摩芋・・。

我が家の周りで穫れた恵みが食卓にのぼる幸せ。

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2013年3月20日 (水)

詩人

吉野 弘さんという詩人がおられる。

1926年生れというので

もうなかなかのご高齢だと思われる。

この方の書いた詩のひとつに

『生命は』という一編がある。

26歳の頃この詩に胸を打たれた。

こんなにわずかな言葉で

こんなに生の全体像を浮きあがらせるのはすごい

と、感激した記憶がある。

当時ひとり暮らしのわびしい部屋の壁に

張りつけて、その言葉に凝縮された世界をときおり眺めた。

いまある自分の暮らしの遠因となった詩人に感謝。

もし機会があったらお会いしたい。 (だい)

産んじゃいました~

言い忘れて いたかも しれませんが、 うちには 豚 がいます。

身重でした。

そして

つ ー い に  この日が やってまいりました。

昨晩から 産気づいた 豚の うーみん。

夕飯も そこそこに  しん と だい は うーみんに 付き添う。

寒さのため 11時すぎ いったん 帰宅。

わずかばかりの仮眠をとり 日付が変わった 1時すぎに 再び 付き添いに出かける。

わたくし はな は 「お布団の付き添い(←けっこう大変なんです)」。

2時半、 だい の 電話で めざめました。

うーみん 精一杯頑張りましたwink

4匹 産まれました~。 ばんざーいhappy01

そのまま 寝ちゃおうかと 一瞬 思いましたが 良心の呵責? のため うーみんに会いに山に出向く。

きゃわい~いlovely、 眠いけど 来て よかった。

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初産だし 4頭くらい で 良かったよ、多いと お世話も タイヘンだしねcoldsweats01

後ろ髪ひかれながら 3時に 帰宅、 再び 仮眠。

しんどいけど かわいい子豚ちゃん に なにかあっては いけないので。

6時に 起床して うーみん の ところへ。

道すがら だい に 「 うーみん が 結局 11匹も 子豚を産んだ 夢を さっき 見ちゃったよ」

と話してた。

山に着いたら しん が 「 数が 増えてるsign02 」 と・・・・。

12匹。・・・・・・・・ガ、ガーーーンsign03

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12匹 要るのが わかるかしら?

いろんな 色が います。

番号 と ♂♀ 判別を 背中に 書きました。

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ママの 乳首 を 奪い合ってます。

何匹 生き残って くれるかな~。

全部 生きて欲しいけど・・・。 (はな) 

 

 

2013年3月18日 (月)

精神病院とは

おととい、シンフォニア岩国で

『むかしMattoの町があった』というイタリア映画が上映された。

約3時間の長編映画。

主催は、「ビタ・フェリーチェ」という社会福祉法人。

イタリアは国中から、精神病院という名前の収容施設を

全廃した。この映画はそれにまつわる歴史的なひとコマを

物語にした作品。

会場には、いわゆる精神障害をもった当事者やその家族

の方々が多かったが、本来は精神病院で仕事を得ている

人たちのほうが観るべき映画ではないか。

当事者やその家族の多くは、今の日本の精神病院をとりまく

制度にいっぱい疑問を持っているだろう。

でもそういう制度を維持したい人たちのほうが

社会的な立場も堅固で、金もあり、政治的な力も強いので

必然的に当事者が精神病院に依存してしまう体制から

抜け出せないでいる、と少なくともオレにはそう見える。

ことはそう単純ではないと精神病院会の偉い方々は

おっしゃるだろう。でも1960年代から日本以外の国々の

精神病院のベッド数はどんどん減っていったのに

日本はそれと逆に増えていった背景には、

ことが単純とか複雑とかいう以前に

精神病院という箱の中での経済的な利益を

うまい具合に社会防衛という布でくるんだのでは?

そう考えられる要素が少なからずある。

詳しくは、大熊一夫さんの

『精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本』(岩波書店)

を読んでみてね。

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2013年3月15日 (金)

政治家

誰とは言わないが

世の中には

嘘をついても嘘はついていないことになる人たちが

存在するらしい。まるで

「僕は嘘つきです」と言い張るパラドックスみたいだ。

僕は嘘つきですと公言する正直な僕ははたして本当に

嘘つきだろうか。できれば僕を正直な部類に入れてあげたい。

なぜなら本当の嘘つきは

僕は嘘つきですなどとは決して言わないからだ。

現山口県知事さんは選挙運動の時

脱原発は当たり前と宣ったがあれは失言だったらしい。

現政権与党はやはり選挙公約でTPPには参加しないと

明言していたが

国民は幻の言葉でも聞いていたのかもしれない。

こんなに幻の言葉を連発する人間たちの

なにを信じればいいのだろう。(だい)

2013年3月14日 (木)

みかん畑

3畝くらいの小さなみかん畑なんだけど

その畑から海が見える風景がいい。

去年そこの地主さんが

ここはもう荒らすことにしたから

もし野菜でも作るんなら貸っしゃげる、とおっしゃった。

いや荒らすのはもったいないので

使わせていただきたいと答えた。

で、実験的にこのみかん畑を田んぼに戻してみたい

と考えている。

20~30年くらい前は田んぼだったので

できないことはないだろうけど

みかんの根っこが耕土の下の盤を壊しているかもしれない。

ものは試しで、みかんの木株を引き抜くところから始める。

木は半分枯れかかっていたので

チェンブロックで意外に簡単に抜けた。

なかなかの重労働。眠くなったのでおやすみなさい。(だい)

2013年3月13日 (水)

カテゴリなし

常々思考というものは散逸的で

とりあえず主題を念頭に置いて書き始めても

いつのまにか主旨から逸れて

はたしてこれは本当に自分が書きたかったことなのか

よくわからなくなる。

マンホールから下水管の中をとぼとぼ歩いて

この方角であればおそらくあの辺りに顔を出せるなと推定して

いざふたを開けてみると

予測したのとは全く違った景色を見るはめになった。

そういうちょっとした想定外の驚きに似ている。

話すこともそう。

とどのつまり自分が相手に何を伝えたかったのか判然とせず

今まで話した内容をすべて保留にしておきたいような

後悔に似た気分に陥ることもある。

ということで、今後カテゴリは選択しないことにした。

なにが、ということで、なのかも理解不能だけど

多分オレの脳みその質が始終ノイズに

攪乱されているのだろう。(だい)

2013年3月12日 (火)

初生雛

「しょせいびな」と読む。

たまごから孵ったばかりの雛のこと。

何日か前に初生雛が到着した。

約2週間ちょっとはうちの家の中の土間で育てる。

っていうのは雛が温まるために

こまめな温度管理が必要なのでやむをえず。

それに餌やりもあるし、

調子のわるい子が出た時にすぐにわかりやすい。

昔の農家は土間で牛や馬を飼っていたらしいが

現代の日本の農民も土間で家畜と暮らすのであった。

うちに着いてから1週間くらいは餌は玄米と草だけ。

草は笹の葉やキャベツを刻んで与えたり、

はこべはそのまま放りこむ。

ちなみに、はこべのことを日本ではひよこ草というらしいけど

英語でもチックグラスっていうんだって。チックはchick(ひよこ)。

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2013年3月11日 (月)

まて貝

夕方まて貝を採りに行く。

ほんとうはあさりを採るために潮干狩りに行きたいところだけど

近頃あさりにお目にかかることがない。

小さいころはふつう貝掘りっていうとあさりだったけど

どうして最近はあさりがいないのかな。

まて貝採りも面白いし

晩のおかずには十分なくらい採れるのでありがたい。

採り方にちょっとしたこつがいる。

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2013年3月10日 (日)

横川シネマ

先日広島の横川シネマという

映画館に久々に足をはこんだ。

この映画館はすてき。

もうコアな映画ばかりをこれでもかというほど

公開してくれる。

『100万回生きたねこ』というドキュメンタリーを観た。

絵本作家の佐野洋子さんの名作をじっくり

聞かせてもらった。

この絵本をオレなりに解釈すると、

りっぱなとらねこは誰かの所属物であることが

つまり嫌だった。りっぱなとらねこは

自分のことが一番好きだった。でも、100万回死んで

100万回生きた後に初めて自分よりも好きなねこが

生まれた。今の人はもっと自分のことを好きになるように

努力しなさい。自分のことをもっと好きになると

自分よりももっともっと好きな相手が生まれるかもしれない。

素直に誠実に一生懸命に自分を愛せる人が

素直に誠実に一生懸命に他者をも愛せるんじゃないの?

と、佐野さんに言われたような気がした。

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