2014年6月 9日 (月)

フィルマラ

こんなに感銘を受けた

『箱入り息子の恋』ではあるが

これも状況設定のなせる技と言えなくもない。

なぜって

サロンシネマのフィルムマラソンで観たから。

それも眠気を通りこした明け方

それまでに積み重ねるように注入された映像が

澱のように無意識の底に溜まって

すぐに消化もできず発酵した胃液が

喉元にせりあがってくるように

感情の堰がどっと破れたのかもしれない。

その頃の自分の気分や環境も

その決壊を後押ししたのかもしれない。

ある映画を観るために用意されていたかのように

心が反応する。

星のめぐりあわせが予定調和して

脳神経の一部を揺さぶる。人間は

人間自身がつくった物語によって

道に迷うこともあれば

一光の希望をみいだすこともある。

Dsc00463朝焼けの空に鳳凰の姿か。

2014年6月 8日 (日)

両親

親にとって

子どもは永遠に子どもである。

しかし近すぎるゆえに子どもの心が

皆目見えていない親もいる。

ふた親と子どもの関係を顧みる意味でも

『箱入り息子の恋』は胸に沁みた。

主人公の見た目冴えない男が

不器用にも恋愛を成就させようともがく姿に

顔中が涙でぐしゃぐしゃになる。

彼はしごく真っ当に生きているだけなのに

親は彼に気遣いながらも右往左往と

彼を世間一般のレールに無理やり

はめこもうと必死である。もっともその親の必死さが

ひとつの縁をつないだのではあるが。

こんなに自意識を鷲掴みされた映画は久しぶりだった。

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2014年6月 6日 (金)

道山

最後に韓国を旅したときも

映画館に入った。釜山大学近くの

日本でいうシネコンみたいな映画館。

驚いたのは人の多さ。

一つの館内すべて客席が埋まっている。

特にアベック(古い表現?)が多い。

ざわめきとポップコーンの

甘い匂いの中でやはりソル・ギョング主演の

『力道山』を観た。日本語とハングルが混じっているので

ハングルだけよりもはるかに理解しやすかった。

ソル・ギョングの肉体が引き締まりすぎてて

オレのイメージする力道山といまいち重ならない。

映画は映画である。その後

『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也著)

を読んだ。こっちのほうが実像を描いている。

日本に来てさんざんいじめられたんだろう。

勝利に対する執着心が半端ではなかったはずである。

 

2014年6月 5日 (木)

追憶

『ペパーミントキャンディー』を観た後

またしょうこりもなく韓国に出かけた。

釜山の民主公園にただ行ってみたかった。

公園内には抗争記念館という展示室もあって

これがなかなかおもしろいのである。それ以降

釜山を訪れるたびに通った。

民主化運動の歴史資料館みたいな存在。

公園ではお年寄りが集まって将棋を差していたり

親子で遊ぶ声が響いたり

見晴らしがよくてぼんやり昼寝でもしたいような場。

ソル・ギョングがここに結びつくとは

意外にも頼もしい運命だった。

Dsc04563 『ソウォン~願い』という作品が広島平和映画祭のおりに
公開されたときのインタビュー。左は監督。右がソル・ギョング

 

2014年6月 4日 (水)

俳優

もう10何年か前

韓国によく出かけた。そのとき

なんどか泊めてくれた浩徹という韓国の友人がいて

映画の話になった。当時ソル・ギョングという俳優

を『オアシス』で知って

なんかすごくストイックでクールな役者だと誉めたら

浩徹が『ペパーミントキャンディー』を勧めた。

その後しばらくして広島の映像文化ライブラリーだったか

韓国映画特集があって

運好くその映画を映画館で観る機会を得た。

1980年に起きた光州事件が素材。

韓国では民主化運動の流れを大きく変えた日にちから

518と呼ぶ。ある男の記憶の襞の後悔というか情念が溢れ出て

彼を強引に過去へ押し戻す熱い作品だった。

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2014年6月 3日 (火)

映画館

20代のとき旅がてら

映画館によく入った。インドでは

20年前当時入場料が2ルピーだったか。

田舎のといってもわりかた人であふれているのだが

館内は煙草のけむりで

スクリーンが紫色に見える気がした。言葉もわからず

ただ観客の喧噪を聞いてたような。半分夢見心地。

特にハンサムでもないおじさんマハラジャと

インド的定型美人女性の歌と踊りを交えた

らぶろまんす?だったような。後に

日本で公開されたラジニカーント・スーパースター

主演の『踊るマハラジャ』だったっけ。違うけど似てる。

自分でスーパースターと臆面もなく名乗るところが

はずかしくもさまになっている。

あのとき映画を観たというよりも

ただただ人の影を観たのだった。

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2014年6月 2日 (月)

映画私論

かなり頻繁に映画館に通う。

うちにはテレビはないので

ドラマやドキュメンタリーはひたすら映画館に足を運ぶ。

なぜテレビではだめなのか。

まず画面が小さい。

DVDレンタルしても番組放送でも

その映画独特の味わいがか弱い。

味覚に旬があるように

映画館という空間が醸す臨場感が必要なのだ。

映画という作品はそれ自体だけで完成しない。

所詮人間のつくりごとの世界なので

映画を包むリアルな人と呼吸によって

つくりごとはまさしくつくりごとらしくなり

作品は切迫して我が身に近づく。

この世のあらゆる芸術作品は一回性という

流れ星のような宿命を負っている。私のなかの

誰も気づかなかったような神経の糸に触れる

なにかがある。その一瞬の触発を受けたいがために

映画館で映画を観る。

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2014年5月30日 (金)

師匠

今朝早くに

ぶーを屠畜場に連れて行った

シンとイッチャンは都会の道路を

車で走って疲れ果てて帰ってきた。

そんな日の夕方に

イノシシ罠猟の大師匠が

にやりと笑いながらうちにいらっしゃった。

「今何しよるん?」と訊かれたので

「エンジンポンプの修理をしていて取り込み中です・・・」

とちょっと渋い顔で答えたものの

「すまんがなあ猪がまた掛かったんじゃが・・・」

大師匠の頼みは終いまで聞かなくてもわかった。

一緒に現場に駆けつけて

気絶させて頸動脈を切って止めを刺す。

70kgくらいの雄。雄は匂いもきつくて季節柄解体もできないので

お疲れのシンとイッチャンにも手伝ってもらって

ロースだけを頂いて山中に埋設。

突発的な状況においても

師匠の声掛けに渋面で受けちゃいけんかった。

常に笑顔でハイハイと微力を差し出すべきであった。

お師匠さまいつもありがとうございます。

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2014年5月29日 (木)

2回目

前回から2か月過ぎ

2回目の屠畜が決まった。

夕方1頭のぶーを檻に入れる。

去勢雄の白ちゃん。生体重およそ100kg。

前回は檻から少し離れた場所で捕縛して

檻の中へ連れていくのがちょー大変だったので

今回は一工夫した。

電柵を檻の入り口まで引きこんで

餌で誘導しながら扉の近くに寄った時に

男4人で一気に押し入れた。彼はいったん檻に入ると

何ごともなかったかのように5升の玄米飯を食い続ける。

豚という動物は屠畜前に過度なストレスを与えると

肉の味が落ちると言われている。できるだけ

暴れさせずに檻へ入れて

涼しい時間帯に屠畜場に連れて行く。

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2014年5月27日 (火)

農村

何年か前見た写真集の序文で

立松和平さんが書いておられる文章が

すばらしい。初めて読んだとき胸がつーんとした。

「農村の未来は、消えてしまった農村風景の

検証から拓かれる」と副題。

「風景を維持するためには、勤勉な労働が

必要である。四季折々の野菜や花を得るためには、

それなりの仕事をしなければならない。

かつて日本の農村には

こんな勤勉な人が暮らしていたから、

調和のとれた見事な精神性が

風景に現れていた・・・。」

かつての勤勉な日本人のひとりになりたいものだ。

ちなみに立松さんは波乱万丈の

文学人生を4年前に閉じた。

『写真集 昭和の農村』(家の光協会編)より一部抜粋。

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