« 2013年4月 | メイン | 2013年6月 »

2013年5月

2013年5月31日 (金)

足るを知る

新規就農で初めからお金を得るのは

難しい。うちもいざお百姓を始めて

2年くらいはほとんど無収入だった。

毎日小さな段々畑を伐り開きながら

こんなことを地道に続けて

はたしていつ利潤になるのだろうか

と、自問自答の日々。燃料代も食費も

それなりに出ていく。もっとも崩れた畑でも

一応、父親の土地だったし

周囲の地主さんも快く畑を貸してくれたし

あれこれ近隣の方々には助けて頂いたが

それでも減っていく預金通帳は気になった。

今振りかえれば

あの最初の2年という時間は

足らないものをなんとか工夫する

足らなくて手に入らないものを望まない

足らない物よりも心の余裕を選ぶ

そんな無能の時間であった。

つげ義春さんの『無能の人』みたいな。

無能な時間を使う人みたい。

2013年5月30日 (木)

遺伝子組み換え小麦

アメリカで見つかったという。

アメリカの多国籍企業モンサント社の製品

と判明したらしい。

命の不可逆性を純粋に金儲けに利用する

そういう性根というのは

なにもアメリカ人に限ったことではないが

以前にメキシコでばらまかれた

遺伝子組み換えトウモロコシといい

今回の事件といい

なにかしら作為を感じてしまうのは

オレだけだろうか。遺伝子組み換え食品を

完璧に拒否したい人がいても

混入率がわずかであれば問題ないとか。

無認可区域に遺伝子組み換えの種を拡散させたり

そんなことになってもなんら責任を負わないとか。

というか、一度ばらまかれた遺伝子組み換え種子は

際限なく交雑し続けるので

そもそも責任とか原因追究とかそんな

建前は吹き飛んでしまうくらいの

大事件である。にもかかわらずアメリカ人はのんきだ。

というか、アメリカという国は

民主主義国ではない。金主主義国であった。

Dsc00160

<a href="http://yamaguchi-blog.com/wj.php?cd=0243" target="_blank" utn>山口ブログ</a>

2013年5月29日 (水)

鬼の攪乱

ここ周防大島に移り住んでから

ただの一回も風邪で寝込んだことのなかった

はなが寝込んだ。まる一日。

おかげであらゆる仕事がこっちに回ってきて

いそがしいことこのうえない。

つくづくオレひとりの労力って

たいしたことないなっと

思い知らされた。で、はなが

病院に受診してすぐに解熱剤を飲もうとするので

発熱は回復に必要な過程なので

よっぽどじゃないと飲むな

と忠告しても化学薬品教の信者である彼女は

薬で熱を下げたいらしい。蜜蜂の師匠が、

「病気になってもそれをたのしむ気持ちが必要」

と言う。病気になってはじめて病気の人の

気持ちがわかる。そのわかる気持ちを大事にしろ

ということかな。オレは疲れや風邪でわりとよく寝込むほうなので

やっとこの気持ちがわかってもらえたかな。 (だい)

<a href="http://yamaguchi-blog.com/wj.php?cd=0243" target="_blank" utn>山口ブログ</a>

2013年5月26日 (日)

食前のお祈り

毎年訪れる托鉢僧侶の

しげるくんがのこしていった

お祈りをここに記しとめておきたい。

タイ式仏教作法の文句をしげるくん流に

平易な口語体に訳した

食前のことば。

生老病死の苦しみを共にする

すべての生けとし生ける者たちよ

幸せであれ幸せであれ

互いに憎みあうことなかれ

互いに傷つけあい苦しみ与えあうことなかれ

心と体において安らかであれ

自らを調え

すべての悩み苦しみから解放されんことを

いただきます。

2013年5月24日 (金)

集団

義務教育の思い出は

なんというか、ひとことでいえば

誰もが同じように行動しなければいけない

強迫観念とでもいうのか、そんな感じ。

校則、規律、行進、部活、先輩後輩、一斉下校、朝礼・・・

始終集団活動に組み込まれ

その行程から外れて遊んでいると

もう人間失格という烙印をおされそうな。

なんだかいつもおどおどしてた。

自民党は国民一人一人に番号を付けたいらしい。

何が楽しくて番号なんか

もらわなければならないのか。

誰のための番号なのか。

ここにも集団的ドグマの匂いがする。

個人に番号を付けて管理したがる人の顔が見たい。

ジョージ・オーウェルの『1984年』という

小説を連想させる。

<a href="http://yamaguchi-blog.com/wj.php?cd=0243" target="_blank" utn>山口ブログ</a>

2013年5月23日 (木)

内検

ないけん

と読む。蜜蜂の箱の中から巣枠を引き出し

観察点検すること。うちでは週1間隔で行う。

師匠に教わった内検の要点をおおざっぱに言うと

女王蜂の確認

産卵状況と巣房に異状ないか確認

ヘギイタダニの繁殖確認

巣箱内のごみを採取したり

巣枠を必要に応じて入れ替えたり

あれこれと丁寧に見ていくと

けっこう時間がかかる。

今時期は無駄巣がいっぱいできるので

次回採蜜しやすいようにそれをはがして

巣枠をきれいに整える。

今年もみかん花の蜜が期待できそう。

自然の恵みに感謝。

Dsc00123_2

蜂の卵が有るの、わかる?

2013年5月22日 (水)

気魄の人

若松孝二という映画監督がいた。

昨年76歳で亡くなったが、

反権力を公然と掲げる気骨ある映画人生

をおくった方である。

初めてこの人の作品を観たのは

『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』

肺腑を突き刺す迫力があった。

生きるか死ぬかという瀬戸際を

殺すか殺されるかという修羅場を

かいくぐってきた人間だから映せる

業を感じた。

実際、若松さんは若い頃、何年かやくざな世界に

足をつっこみ、牢屋にも入ったらしい。

『キャタピラー』の上映がテアトル徳山であり

監督が舞台挨拶に立たれた。

武骨なくぐもった声。インタビューの内容は忘れてしまったが、

オレはこの人とどう戦えるか今も考え続けている。

Dsc03403

2013年5月21日 (火)

二日酔い

花垣という酒蔵で杜氏見習いをしている

友人が訪れてくれて晩遅くまで宴。

彼が持参してくれる酒が

うまいんだな、これが。

うちに来るたびに毎回

ことなる風味の酒を飲ませてくれる。ありがたい。

こと調味料と酒はできるだけ

素材と原産地の明確な品を選ぶことにしている。

なので余計にうれしい。

昼間の疲れを中和してくれる酔いにまかせて

杜氏弟子の作品を飲みすぎてしまう。

今日はいちにち頭がふわふわ漂っている。

Dsc03401

2013年5月20日 (月)

他人の痛み

古代パーリ語の経典に

「いずれ10歳人間の謳歌する時代がくる」

という予言めいた言葉があるらしい。

10歳人間とはなんだろう。

幼い子どもは私という一人称で世界が完結しているので

そこにあなたや彼彼女は入ってこない。

少しずつ少しずつその子は外界をまなぶ。

いわゆる思春期に他者という概念をつよく

意識しはじめ、同時に自らをとりまく世界や性の

扉を開ける。

つまり10歳人間とは

一人称だけで完結してしまったまま大人になった人

をさすのではないか。

どんなに賢くても優れた身体性や芸術の素養があっても

他者への共感性を欠いた大人は子どもである。

他者への共感性を欠いた大人は

他者の痛みを自分の身に引き受ける想像力

を欠いている。

そういう大人が政治家になり教師になり医師になり

他者に影響力を及ぼす地位に座るとき

やはり、現在こそが「10歳人間の謳歌する時代」と

言わざるをえない。

2013年5月19日 (日)

心の免疫

趣味はなんですか?

と訊かれ、読書とか映画鑑賞とか観劇とか言う

人もいるだろうが、オレはそう答えない。

だって自分の人生のなかの貴重な時間を

他人が創作した疑似現実に浸る

ために費やすのだ。

もっと言えば、自分自身の生きざまを

誰かの作品にぶつけている行為が

読書であり、映画鑑賞であり、観劇であり・・・

そういうことなのだ。

そんなの趣味とは言わない。

ではなぜ本や映画などに没頭するのだろうか?

芸術というとなにか非常に高尚な言葉に聞こえるが

世俗的な創作もひっくるめてすべてを

芸術におしこめてしまえば

芸術を味わうことによって心の免疫を

豊かに保つことができる。

ちなみにわたしの趣味は—お山で昼寝。

Dsc02379

<a href="http://yamaguchi-blog.com/wj.php?cd=0243" target="_blank" utn>山口ブログ</a>